東京クラブ (映画館)

浅草にあった映画館(1913-1991)
浅草東京クラブから転送)

東京倶楽部(とうきょうくらぶ、1913年 開業 - 1991年 閉鎖)は、かつて存在した日本の映画館である。戦前から平成時代に閉鎖するまで、洋画の3本立て興行をおもに行なっていた。

東京倶楽部
Tokyo Club
1937年(昭和12年)6月、浅草公園六区の写真。『地に潜るギャング』(監督チャールズ・C・コールマン・ジュニア)と『海の巨人』(監督ベン・ストロフ)が東京倶楽部で上映されていたことが確認出来る。
情報
正式名称 東京倶楽部
完成 1913年
開館 1913年
閉館 1991年11月4日
最終公演地上より永遠に
第三の男
終着駅
客席数 345席
設備 35mm映写機
用途 映画上映
運営 根岸興行部松竹
所在地 111-0032
東京市浅草区公園六区
(現在の東京都台東区浅草1丁目26番5号)
最寄駅 浅草駅
テンプレートを表示

データ

編集
  • 所在地:東京都台東区浅草1丁目26番5号
    開業当時の東京市浅草区公園六区。現在の「浅草ROX・3G」の位置。
  • 観客定員数:579席(1929年時点[1])→345席(1991年閉館時点[2]

概要

編集
 
時事新報」1928年(昭和3年)8月3日付に掲載された広告。この当時の東京クラブは『東京館』と名乗っていた。

1913年(大正2年)、東京市浅草区公園六区(現在の東京都台東区浅草1丁目26番5号)、「金龍館」の隣地に開業した。根岸興行部が、1887年(明治20年)10月1日開業の「常盤座」、1911年(明治44年)10月1日開業の「金龍館」に次いで開業した劇場である。同社の創立者・根岸浜吉が前年に亡くなっており、二代目社主の小泉丑治が開業した。路地を隔てた北側には電気館、六区の通りの正面には帝国館、という立地であった。

1916年(大正5年)5月1日、「3館共通入場券」(2階20銭、1階10銭)を導入した。

1923年(大正12年)9月1日、関東大震災の直撃で浅草は壊滅、根岸興行部は大打撃を受け、負債を負って松竹傘下となる。その後1924年(大正13年)開業の邦楽座(後の丸の内ピカデリー)などと共にパラマウント映画の作品を数多く上映するようになる[1]。1928年(昭和3年)8月3日付「時事新報」に同館と邦楽座が共同出稿した広告によれば、アドルフ・マンジュー主演の『一夜の秘密』(監督ロタール・メンデス)、フローレンス・ヴィダー主演の『鳥なき里のお姫様』(監督ルーサー・リード)といった2作のパラマウント作品に加え、1927年(昭和2年)にユニバーサル・ピクチャーズが制作したエドワード・レムリ監督作『裁かるる魂』[3]も上映されていた。

1931年(昭和6年)、常盤座、金龍館とともに改築、このときの建物は、平成の時代に取り壊すまで使用された。設計は3館とも成松建築事務所、のちに「東洋一の五千人劇場」と呼ばれた国際劇場を手がけた建築設計事務所である。

1945年(昭和20年)8月15日、第二次世界大戦が終結し、やがて、アメリカ映画の3本立て興行を再開する。

1991年(平成3年)11月4日、『さよなら東京クラブ ファン感謝フェスティバル』と銘打った最終興行をもって[2]閉鎖廃業となり、1931年築の建物は解体され、78年の歴史に終止符を打った。跡地はTOCに売却、再開発され、1995年浅草ROX・3Gが建設される。

出典

編集
  1. ^ a b 総覧[1929] p.243, 245-246, 249.
  2. ^ a b 平成3年(1991年)のラストショー(Ⅱ)”. 平成ラストショーhp. 2021年2月3日閲覧。 “浅草松竹・東京クラブ”
  3. ^ The Thirteenth Juror (1927)” (英語). インターネット・ムービー・データベース. 2014年11月25日閲覧。

参考文献

編集
  • 『日本映画事業総覧 昭和三・四年版』、国際映画通信社、1929年発行

関連項目

編集