浅沼商会
株式会社浅沼商会(あさぬましょうかい)は、写真映像用品を扱う商社で、各種写真器材の輸入販売、卸売りを手がけている。
種類 | 株式会社 |
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本社所在地 |
日本 〒103-0027 東京都中央区日本橋小舟町7-2 ヤクシビル2F |
設立 | 1928年(昭和3年) |
業種 | 卸売業 |
法人番号 | 1010001009138 |
代表者 | 代表取締役社長 相川 千代治 |
資本金 | 1億円 |
売上高 | 46億円 |
純利益 |
1億0100万円 (2024年1月期)[1] |
純資産 |
84億9500万円 (2024年1月期)[1] |
総資産 |
113億6300万円 (2024年1月期)[1] |
従業員数 | 64名 |
外部リンク | http://www.asanumashoukai.co.jp/ |
概要
編集創業者の浅沼藤吉(1852-1929、安房国滝口村出身)は日本橋の薬問屋を出てから写真館相手に湿板写真の薬品の行商をしたのち、1871年に東京呉服町に写真材料専門店「浅沼商会」の看板を上げた[2][3]。1875-76年頃に王子製紙に託して写真台紙の国産化を進め、1877年京都支店を、1878年大阪支店を開設した[3]。当初は輸入の困難から外国商人から仕入れていたが、写真師の増加に伴い1877年頃から直輸入に踏み切った。1881年頃からは宮内省の写真材料の御用も務めた[3]。上野彦馬にスワン乾板を示教されて以来、乾板を輸入していたが、実弟の吉田勝之助を米国に留学させ、帰国後の1884年に平河町に東京乾板製造会社を建設し、1891年に雑誌「写真新報」を復刊[3]。本所横網町にカメラと付属品の工場を設立し、パリ万国博覧会 (1900年)に自社製品を出品、その後日本橋区本町に本店を置き、シベリア、東インド、南洋などにも自社製品を輸出するなど、写真材料・機器の製造・販売で写真工業業界をリードした[3]。
小西屋六兵衛店(現コニカミノルタ)とは1軒挟んだ隣同士で、ライバル意識もあってか顧客サービスを重視し、両店とも評判は上々であった[2]。金持ちの写真旅行には随行し荷物持ちやご機嫌取りをし[2]、有名な写真大尽の鹿嶋清兵衛が旅先でお金を使い果たして泣きついて来た時などは東京から大金を取り寄せて用立てたという[2]。
1906年、不正業者を断ち写真機材の交換を組織的に行う目的で東京写真材料商組合が結成された。当時は取引の系列は浅沼派と小西派に分かれていたため、両派で1年おきに組合長を担当することになった。
第一次世界大戦後の好景気で小回りの利く小規模写真材料商の数も増えたことから、浅沼は卸売問屋に転じた[2]。
古くからKINGという自社ブランド名(日本国登録商標第90625号の12、1918年)で、写真用台紙、アルバム、現像用品、撮影用品などを販売している。創業は1871年(明治4年)、会社の設立は1928年(昭和3年)である。本社は東京都中央区日本橋小舟町のヤクシビルに所在する。
また、グループ企業としてアクメルがあった。
沿革
編集- 1871年(明治4年) - 創業[2]。
- 1928年(昭和3年) - 会社の設立。
- 1978年(昭和53年) - 産業機材事業部を設立。医療分野用途高画質プリンタ、産業分野用途高画質プリンタ、赤外線サーモグラフィー製品、ハイスピードカメラ、顕微鏡システム、DICOM関連製品などを取り扱う部門。取引先は、諸官庁はじめ企業法人 学校法人などへ販売。
- 1980年代 - ミノックス判カメラ「ACMEL(アクメル)」及び同フィルムの販売。オシロスコープCRTフードカメラ開発製造販売。インスタントフィルム証明書撮影カメラ開発製造販売。
- 2004年4月産業機材事業部、ISO14001 環境マネジメントシステム認証
- 2006年 - キャビン工業からCABIN映像機器製品の営業マーケティングを受託する。
- 2008年2月 - 営業部門が東京都千代田区平河町から千葉県浦安市入船の新浦安センタービルディング(現:NBF新浦安タワー)へ移転する。
- 2010年3月 - ホームページURLが変更、http://www.asanumashoukai.co.jp/
- 2010年4月 - 営業部門千葉県浦安市入船のビル名表記が、新浦安センタービルディングからNBF新浦安タワーになる。
外部リンク
編集出典
編集参考文献
編集外部リンク
編集- (株)浅沼商会『浅沼商会百年史』(1971.10)渋沢社史データベース
- 『幕末・明治の写真師』総覧