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浅井蔵屋
戦国時代の女性。浅井亮政の正室。子に浅井政弘(-1532、新四郎)
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浅井 蔵屋
(あざい くらや、生年不詳 -
永禄
11年
8月26日
(
1568年
9月17日
)は、
戦国時代
の女性。
目次
1
概要
2
人物像
3
経歴
4
関連
概要
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浅井の宗家である
浅井直政
の娘で、父の
いとこ
である
浅井亮政
(
戦国大名
の浅井三代の初代)の正室。
子は
浅井明政
室の
浅井鶴千代
と
浅井新四郎政弘
(
天文
初年に早世)。
孫娘
は
海津局
と
饗庭局
の2人がいる(共に
海津殿
(鶴千代)の娘で、
淀殿
の
侍女
及び
乳母
を勤める)。
戒名
を
雪渓玄盛大姉
と号する(『徳勝寺受戒帳』)。
人物像
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その性格は、質素で飾らぬことを好み、「我が家にては金銀を宝とせず、慈悲を持って宝となすべし」と述べたという(『
豊内記
』)。
亮政の側室である
尼子馨庵
とともに小島権現再興にあたっていることなど、嫡女として、亮政の正室として、亮政の奥向を治めていた。
経歴
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天文
4年(
1535年
)11月25日、
徳勝寺
にて戒を受く(『徳勝寺受戒帳』) 。
永禄10年(
1567年
)9月6日、
竹生島
の小島権現再興にあたって、馨庵とともに槫(くれ・板材のこと)五十丁を寄進して助成する(『小島権現棟札』)。
関連
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浅井氏