浅井吉政
浅井 吉政(あざい よしまさ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。
時代 | 戦国時代 - 安土桃山時代 |
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生誕 | 不明 |
死没 | 天正11年(1583年) |
別名 | 吉兵衛、吉兵衛尉(通称) |
主君 | 浅井長政、藤堂高虎、豊臣秀吉 |
氏族 | 浅井氏 |
父母 |
父∶浅井盛政、 養父∶浅井亮親 |
兄弟 | 吉政、成伯 |
子 | 養子∶藤堂賢政 |
経歴
編集浅井氏庶流・浅井盛政の子として誕生。浅井亮親の養子となるが、天正元年(1573年)に浅井氏宗家であり、主君の浅井長政が、織田氏に本拠の小谷城を攻められて滅亡(小谷城の戦い)した際、養父の亮親も処刑されている。難を逃れた吉政は、実父の盛政と共に藤堂高虎に仕え、高虎の甥の賢政を養子に迎えた。しかし、藤堂一族の専横独占に不満を持ち、賢政との養子縁組を解消した上で父と共に出奔し、羽柴秀吉に仕えた。
天正11年(1583年)の賤ヶ岳の戦いでは、柴田勝家に属して戦い[1]、羽柴方の加藤嘉明によって討たれた。なお、同族の浅井井頼、平野長泰、渡辺了に討たれたという説もある。
脚注
編集- ^ 羽柴方からの寝返り説あり。