浄庭女王(きよにわじょおう、生没年不詳)は、平安時代初期の皇族右大臣神王天智天皇曾孫)の王女。母は美努摩内親王光仁天皇皇女)。光仁天皇朝の伊勢斎宮。 〈天応元年 宝亀6年(775年)4月29日、酒人内親王の退下をうけて斎宮に卜定天応元年(781年)、光仁天皇の譲位により退下したと見られる。延暦10年(791年)4月27日、従五位下叙爵。その後の消息は不明。

浄庭女王
時代 奈良時代 - 平安時代初期
生誕 不詳
卒去 延暦10年(791年)4月27日以降
位階 従五位下
父母 父:神王、母:美努摩内親王
兄弟 舩木王、浄庭女王
斎宮 宝亀6年4月29日775年6月5日) - 天応元年4月3日782年4月30日)頃
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参考文献

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