活汲駅
かつて日本の北海道網走郡津別町にあった日本国有鉄道の駅
活汲駅(かっくみえき)は、北海道(網走支庁)網走郡津別町字活汲[2]に存在した、日本国有鉄道(国鉄)相生線の駅(廃駅)である。事務管理コードは▲122602[3]。
活汲駅 | |
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かっくみ Kakkumi | |
◄豊幌仮乗降場 (1.2 km) (3.1 km) 達美仮乗降場► | |
所在地 | 北海道網走郡津別町字活汲 |
所属事業者 | 日本国有鉄道(国鉄) |
所属路線 | 相生線 |
キロ程 | 11.9 km |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 1面1線 |
開業年月日 | 1924年(大正13年)11月17日[1] |
廃止年月日 | 1985年(昭和60年)4月1日[1] |
備考 | 相生線廃線に伴い廃駅 |
歴史
編集- 1924年(大正13年)11月17日 - 鉄道省相生線の美幌駅 - 津別駅間開通に伴い、開業[4][1]。一般駅[1]。
- 1949年(昭和24年)6月1日 - 公共企業体である日本国有鉄道に移管。
- 1962年(昭和37年)4月1日 - 業務委託化。
- 1979年(昭和54年)12月11日 - 貨物の取り扱いを廃止[1]。
- 1984年(昭和59年)2月1日 - 荷物の取り扱いを廃止[1]。
- 1985年(昭和60年)4月1日 - 相生線の全線廃止に伴い、廃駅となる[1]。
駅名の由来
編集所在地名より。開駅当時の自治体名(活汲村)でもあった[4]。
地名は現在の栄森川のアイヌ語名「カックㇺ(kakkum)」に由来するとされ[5]、この名称は一説にはかつてアイヌが「カックㇺ(kakkum)」、すなわち柄杓をつくるのに樹皮を用いた白樺が川筋に多かったためではないかとされている[6]。
このほか「カッコㇰウンイ(kakkok-un-i)」(カッコウ・いる・ところ)からとする説もあるが、この説についてアイヌ語研究者の知里真志保は、地名であるならば文法的に「カッコㇰハウ(kakkok-hau)」(カッコウ・声)のかたちでないとおかしい、としている[5]。
駅構造
編集廃止時点で、1面1線の単式ホームを有する地上駅であった。ほかに駅舎側に美幌方から分岐した側線を1本有し、貨物用ホームも残されていた[7]。ホームは線路の西側(北見相生方面に向かって右手側)に存在し、駅舎が接していた。かつては2面2線の相対式ホームを有する、列車交換可能駅であった。業務委託駅となっていた。
利用状況
編集駅周辺
編集駅跡
編集現在、駅跡地は草むらになっている。2001年(平成13年)時点では駅前倉庫が残存していた[10]。
隣の駅
編集脚注
編集- ^ a b c d e f g 石野哲 編『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 II』(初版)JTB、1998年10月1日、922頁。ISBN 978-4-533-02980-6。
- ^ 『津別町史』津別町、1971年、843-844頁。doi:10.11501/9490640 。2022年6月12日閲覧。
- ^ 日本国有鉄道営業局総務課 編『停車場一覧 昭和41年3月現在』日本国有鉄道、1966年、245頁。doi:10.11501/1873236 。2023年3月21日閲覧。
- ^ a b 内閣印刷局, ed (1924-11-11). “鉄道省告示 第220号”. 官報 (国立国会図書館デジタルコレクション) (3666) .
- ^ a b 山田秀三『北海道の地名』(2版)草風館、浦安市〈アイヌ語地名の研究 山田秀三著作集 別巻〉、2018年11月30日、211頁。ISBN 978-4-88323-114-0。
- ^ “アイヌ語地名リスト オニシベ~キタ P31-40P”. アイヌ語地名リスト. 北海道 環境生活部 アイヌ政策推進室 (2007年). 2018年12月24日閲覧。
- ^ a b 書籍『国鉄全線各駅停車1 北海道690駅』(小学館、1983年7月発行)159ページより。
- ^ 『津別町史』津別町、1954年、608-609頁。doi:10.11501/3017371 。2022年6月12日閲覧。
- ^ 藤田, 稔 編『国鉄全駅大事典』藤田書店、1980年4月30日、902頁。doi:10.11501/12065814 。
- ^ 書籍『鉄道廃線跡を歩くVII』(JTBパブリッシング、2001年1月発行)42ページより。