津軽信堅
津軽 信堅(つがる のぶかた)は、安土桃山時代の武士。弘前藩初代藩主・津軽為信の次男。官位は従五位下・相模守。
時代 | 安土桃山時代 |
---|---|
生誕 | 天正3年(1575年) |
死没 | 慶長2年1月26日(1597年3月14日) |
改名 | 総五郎(幼名)→信堅 |
墓所 | 浅草の萬隆寺 |
官位 | 従五位下相模守 |
主君 | 徳川家康→秀忠 |
氏族 | 津軽氏 |
父母 | 父:津軽為信 |
兄弟 |
信建、信堅、信枚、冨子、兼子盛久室 養兄弟:建広 |
略歴
編集早世した、とされており、事跡はほとんど伝わらない。『津軽藩旧記伝類』によれば天正3年(1575年)生まれ。徳川家康の小姓、徳川秀忠の近習を務めたとされる。
慶長元年(1596年)、弟・信枚と共にキリシタンに改宗している。慶長2年(1597年)1月26日に江戸において23歳で死去した。
浅草にある曹洞宗萬隆寺は、元は湯島の津軽家屋敷付近にあり(明暦の大火後に移転)、江戸における津軽家の菩提寺の一つであったとされる。開基が信堅とされているが、詳細は不明である。元は出羽国にあり、江戸に移転したとされる。『御府内寺社備考』に拠れば、開基は兄の津軽信建(津軽宮内)。
参考文献
編集- 『青森県史』