津田信敏
経歴
編集青山学院大学英文学科卒業。在学中より児童舞踊から活動を開始。芸術舞踊へ活動の場を広げる。
1935年、モデルネ・タンツ(いわゆるモダンダンス)研究のためドイツ留学。マックス・テルピス舞踊学校やドイツ国立舞踊大学で学んだ。帰国後は津田信敏近代舞踊学校をひらくなどして数々の影響を与えた。
1952年、元藤燁子(1928-2003)と結婚。津田近代舞踊学校(津田・元藤近代舞踊研究所、のちのアスベスト館)を設立した。1962年、津田は、元藤燁子と別れ、アスベスト館を出て、津田信敏舞踊研究所を開設。ここで小林琴美・藤田三恵子・小林美代子・原さなえなどを育てた。1984年病没。
2008年8月10日には、「津田信敏生誕100年CommentsAdd Star」リサイタルが開かれた。(DANCE GROUP 吾〔あ〕第9回公演)出演:小林琴美、藤田三恵子、原さなえ(北沢タウンホール)
門下生
編集出典
編集- 小林琴美,吉田悠樹彦(著)「生きること教えたまいし異端の人 前衛舞踊家 津田信敏」,小林琴美舞踊研究所,2021 (吉田悠樹彦「津田信敏と近代舞踊」)
- 「Corpus : 身体表現批評 no.4」(特集 土方巽)書苑新社、2008年。吉田悠樹彦「津田信敏と門下生たち」」