波浪島
波浪島(ぱらんとう)またはパラン島[1](パランとう、パランド、파랑도、Parangdo)は、韓国が日本海にあると主張した島嶼、もしくは東シナ海にある暗礁である。
歴史
編集- 1948年ダグラス・マッカーサー宛てに提出した『韓日間の島嶼調整の要請の中に「パラン島の所属の明確化」という条項が見られる。 8月5日 - 「愛国老人会本部」が
- 1951年 4月頃 - 兪鎮午の回想によれば、歴史学者の崔南善に韓国領土として確定しておくべき島嶼について諮問、木浦と長崎と上海を結ぶ三角形の中心(東シナ海北部)に、波の中に沈んだり現われたりする「パラン島」があると回答を得たという[2]。
- 1951年梁裕燦韓国大使が、ジョン・フォスター・ダレスとサンフランシスコ平和条約の草案について会談し、「独島」「パラン島」への主張を含む国務長官宛の書簡を提出。ダレスに位置を尋ねられ、韓豹頊は「東海(日本海)にあり、だいたい鬱陵島の近く」と発言。 7月19日 -
- 1951年韓国海軍は日本海軍水路部発行の海図を使って済州島西南方180kmを探査したが発見できず[3]。また国務省の地理学者サミュエル・W・ボッグスによるアメリカの事務報告でも「確認できない」とされた[4]。 8月 - 韓国山岳会と
- 1951年米国務省はラスク書簡で、「パラン島」について「取り下げられたものと理解」すると回答。 8月10日 -
- 1984年 - 済州大学が、中国名「蘇岩礁」を探査し「波浪島」とする。
- 2001年 1月26日 - 韓国地質学会が波浪島を「イオド(離於島)」とする。
- 2006年12月29日 - 韓国海洋水産部が、中国名「丁岩礁」を「波浪礁」とする。
概要
編集初代大韓民国大統領就任予定者であった李承晩の意を受けた「愛国老人会本部(ソウル、Cho Sung Whan代表)」がGHQのダグラス・マッカーサー宛てに『韓日間の島嶼調整の要請(Request for Arrangement of Lands Between Korea and Japan)』を提出し、「独島の返還(Returing back the island "Docksum")」「対馬の割譲(Transferring the island "Tsushima" to Korea)」「波浪島の所属の明確化(Making clear the belonging of Parang Island)」の3つの条項から構成されている[5]。
人民は、日本が海の限界から引き揚げ、降伏した後、これら島嶼を保証するよう、日本に対し、声明する。日本は歴史的にかつ地理的にこれら島嶼と関連がない島嶼のを企てるであろうし、そして侵入の微候がある。 日本はこの手段で、独島、及び南シナ海のパラセル島を奪取し、パランの占領は、冷酷な悪い予測の再攻撃となろう。 こうした日本の試みを考えなければ、問題が立たない。 そして、現在、パランを収容すべきことは明白である。
— 韓日間の島嶼調整の要請 「3.波浪島の所属の明確化」
1951年、サンフランシスコ講和会議の開催に際し、韓国駐米大使の梁裕燦が外交文書としてアメリカ合衆国連邦政府に提出した要望書「米国草案(サンフランシスコ平和条約)に対する韓国側意見書」[6]で、「竹島などとともに日本が放棄すべき島の1つ」として韓国は韓国領への帰属を要望した。
この際、合衆国国務長官であったディーン・アチソンに、竹島と共に島の位置面積などを尋ねられた梁韓国大使は「だいたい鬱陵島の近くで日本海にある小島である」と返答したが、その後の米政府の調査、および、韓国政府による懸命な捜索にも拘らず、発見されていない。
後にアメリカ政府はラスク書簡にて竹島とともに波浪島に対するこの韓国政府の要望を却下している。
今なお所在不明だが、韓国政府は現在も公式にその存在を否定していない。東シナ海の蘇岩礁(実際は暗礁)が波浪島だと主張されることもある。
脚注
編集- ^ 外務省: 6.サンフランシスコ平和条約における竹島の扱い
- ^ 兪鎮午『韓日会談が開かれるまで』(1966年)
- ^ 1974年5月23日付『東亜日報』によれば、それは海図に「SCOTRA ROCK」という暗礁として表示され、北緯33度10分東経120度に位置し、済州西南方180キロメートルであり、木浦から290キロ メートル、長崎から450キロメートル、上海から320キロメートルの海上にあった。
- ^ ロバート・アップルトン・フィアリー『ボッグスメモ』。ウィキソースより閲覧。
- ^ 「史料検証日本の領土」河出書房新社 2010年
- ^ United States Department of State (1951) (英語). Foreign relations of the United States, 1951. Asia and the Pacific (in two parts). Volume VI, Part 1. pp. p. 1206