泉村 (静岡県)
日本の静岡県駿東郡にあった村
泉村(いずみむら)は、静岡県東部、駿東郡にあった村。現在の裾野市南東部、東地区にあたる。1952年に小泉村と合併して、裾野町になった。
いずみむら 泉村 | |
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廃止日 | 1952年4月1日 |
廃止理由 |
新設合併 泉村、小泉村 → 裾野町 |
現在の自治体 | 裾野市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 中部地方、東海地方 |
都道府県 | 静岡県 |
郡 | 駿東郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
面積 | 24.05 km2. |
総人口 |
6,146人 (国勢調査、1950年) |
隣接自治体 | 深良村、小泉村、三島市、神奈川県足柄下郡箱根町、元箱根村 |
泉村役場 | |
所在地 | 静岡県駿東郡泉村 |
座標 | 北緯35度10分31秒 東経138度54分38秒 / 北緯35.17528度 東経138.91061度座標: 北緯35度10分31秒 東経138度54分38秒 / 北緯35.17528度 東経138.91061度 |
駿東地域の町村制施行時の町村。13が泉村分立前の小泉村。 | |
ウィキプロジェクト |
地理
編集町村制施行時に発足した小泉村の東部にあたる。
歴史
編集分立の経緯
編集町村制施行時に発足した小泉村のうち、東部の6大字(茶畑・平松・麦塚・久根・公文名・稲荷)は、箱根山西麓の自然地形に沿って人家が散在する地域であり、主に大字茶畑所在の山林を利用し生計を立てていた[1][2]。一方、西部の6大字(佐野・水窪・伊豆島田・二ッ屋・石脇・富沢)は、佐野街道(別名甲州街道。現在の静岡県道21号三島裾野線[3])沿いに人家を連ね、工業・商業を兼業する農家もみられる状況であった[2]。
こうした地理的・経済的事情等の違いから[2]、東部6大字においては西部を含めた合併に異論が出ており、小泉村発足後最初の村会において分離が決議されるに至った[1]。
なお、町村制施行後における村の分立は、静岡県においては当村が初の事例である[1]。
沿革
編集交通
編集脚注
編集- ^ a b c “第8巻 通史編1 第4編 近現代 第2章 帝国日本と地域村落 第2節 明治町村制下の村” (PDF). 裾野市ホームページ. 『裾野市史』. p. 790. 2023年10月29日閲覧。
- ^ a b c “第4巻 資料編 近現代1 第2章 地域社会の再編成の中で 第6節 村と戦争 (1)町村制の施行と村落政治” (PDF). 裾野市ホームページ. 『裾野市史』. pp. 486-487. 2023年10月29日閲覧。
- ^ “甲州と三島を繋(つな)ぐ道 佐野街道 (平成19年1月1日号)”. 三島市ホームページ. 2023年10月29日閲覧。