鯛屋貞柳
1654-1734, 江戸時代中期の狂歌師
(油煙斎貞柳から転送)
鯛屋貞柳(たいや ていりゅう、1654年(承応3年) - 1734年9月12日(享保19年8月15日))は江戸時代中期の狂歌師。姓は榎並、初号は良因。別号に言因・信乗・油煙斎・由縁斎・精雲洞・鳩杖子・助榮亭・長生亭・珍菓亭・圓菓亭がある。剃髪して貞柳と改めたという[1]。浄瑠璃作者の紀海音は弟[2]。
生涯
編集大坂御堂前にあった菓子商の鯛屋山城大掾の子として生まれる[2]。松永貞徳直門の古参俳人だった父・榎並貞因や叔父・貞富の影響で幼い頃から文事に親しみ、寛文延宝期の俳書や狂歌集に多数入集する[2]。青年期には『古今狂歌仙』『袖香炉』を編纂刊行する一方、豊蔵坊信海に親炙して、信海の没後に『八幡拾遺』を編んだ[2]。壮年期は家業に専念し、晩年近くなって強化活動に専念し、狂歌中興の祖と称された[2]。1732年(享保17年)、初の家集『家づと』が刊行された[2]。1734年(享保19年)8月15日死去、享年81[2]。
辞世の狂歌に曰く、「百いても 同じ浮き世に同じ花 月はまんまる雪は白妙」[1]。
門人は多く、大坂の木端・一好・潘山、名古屋の米都、広島の貞佐らの活躍によって、浪花ぶり狂歌は爆発的に流行した[2]。
作品集・編著
編集- 『置みやげ』
- 『家づと』
- 『狂歌五十人一首』