油掛通
京都市伏見区を東西に走る通路
歴史
編集町内の西岸寺に伝わる説話によると、同寺に伏見上皇が深く信仰した石地蔵があるが、あるとき山崎の油商人が地蔵の前でつまづき、油桶を落としてしまった。商人は残った油を地蔵に掛けて供養すると、たちまち商運が開け、このご利益はたちまち広まって多くの参拝者で賑わったという[2]。 この説話が、通り名の由来となった。
江戸時代は、淀川を遡上し京橋で三十石船を降り、伏見街道を京都へ向かう旅人で賑わった[2]。 町筋には伏見の地酒、伏見人形、土産を売る店が連なり、大坂からの露店も繁盛し、洛南一の繁華街であったという[2]。
1895年(明治28年)に開業した、日本最初の営業用電車である京都電気鉄道(のちの京都市電伏見線)は、起点を下油掛町の交差点に置いていた。
脚注
編集関連項目
編集京都市内の東西の通り | ||
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西は 府道京都守口線 まで |
北隣の通り:大手筋通 | 東は 道阿弥町通 まで |
油掛通 | ||
南 |