河上清吉
大日本帝国陸軍軍人
河上 清吉(かわかみ せいきち、1869年9月6日(明治2年8月1日) - 1936年(昭和11年)6月16日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。
河上 清吉 | |
---|---|
生誕 |
1869年9月6日 越前国丹生郡国見村 |
死没 | 1936年6月16日(66歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1894年 - 1924年 |
最終階級 | 陸軍少将 |
経歴・人物
編集越前福井藩領、越前国丹生郡国見村(現・福井県福井市国見町)出身[2]。1894年(明治27年)陸軍士官学校第5期卒業[1][3]。
任官後、日清戦争・日露戦争に従軍[2]。さらに、1914年(大正3年)8月に盛岡連隊区司令官を経て、1917年(大正6年)8月に陸軍歩兵大佐・歩兵第35連隊長(第9師団 歩兵第31旅団)に任官しシベリア出兵に出征した[1][3]。
その後、1921年(大正10年)7月に陸軍少将・歩兵第36旅団長を経て、1924年(大正13年)2月4日に待命、同月26日に予備役に編入した[1][3]。
脚注
編集参考文献
編集- 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
- 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。