沢田退蔵
沢田 退蔵(さわだ たいぞう、澤田退蔵とも記す。1893年6月7日 - 1970年2月13日)は日本の実業家。鳥取県岩井郡浦富村(現・岩美郡岩美町)出身。
人物
編集オックスフォード大学卒。三菱財閥本社にはいる。その後、三菱より富士紡績に派遣され、大正14年32歳にして取締役就任、昭和19年代表取締役専務(社長に継ぐ次席幹部)に就任。鈴木商店再建のため日本商事(後の双日)設立に尽力、各務記念財団理事、後楽社社長にもなる。終戦後、財閥解体により公職追放。混乱期の中、大山ハム、東京特殊紡績、ジャパパム・エンジニアリング・カンパニーを創業し社長を務める。日伯中央協会理事として日本・ブラジルの友好につとめる傍ら、(財)日本科学振興財団の役員(評議員)として設立に尽力する。外交官沢田節蔵(元国際連盟代表)と沢田廉三(元国連大使)は兄。