沢 来太郎(さわ らいたろう、慶応元年12月15日[1]1866年1月31日) - 大正11年(1922年3月23日[2])は、日本の衆議院議員憲政本党立憲国民党立憲政友会)。

沢来太郎

経歴

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宮城県栗原郡沢辺村(現在の宮城県栗原市)出身。自由民権運動に加わり、1881年明治14年)に公愛会という政社を結成した[1]1894年(明治27年)、県下の自由党員を糾合して血誠義団を組織し、その会長となった[1]。さらに雑誌「新東北」や仙台新聞を発刊して自由党の勢力拡大に貢献したが、1897年(明治30年)に河野広中が自由党を離党すると、それに従い、東北同盟会を組織した[1]

1902年(明治35年)、第7回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。以後、当選回数は6回を数えた[3]。その他、東北商業株式会社監査役、三星炭鉱株式会社監査役も務めた[3]

著書

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  • 『陸海軍政整理論』(東洋出版社、1912年)[4]

出典

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  1. ^ a b c d 新選代議士列伝』金港堂、1902年12月6日、174頁https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/778148/1082018年4月7日閲覧 
  2. ^ 官報1922年3月27日 第2892号”. 大蔵省印刷局. p. 659 (1922年3月27日). 2018年4月7日閲覧。
  3. ^ a b 衆議院要覧 下巻 大正九年六月衆議院事務局、1920年7月15日、294頁https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1337693/1622018年4月7日閲覧 
  4. ^ 沢来太郎『陸海軍政整理論』東洋出版社、1912年9月30日https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/942044/22018年4月7日閲覧