沖縄県立宮古病院
沖縄県宮古島市にある医療機関
沖縄県立宮古病院(おきなわけんりつ みやこびょういん)は、沖縄県宮古島市平良にある県立の医療機関である。沖縄県災害拠点病院の指定を受けている[3]。
沖縄県立宮古病院 | |
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情報 | |
英語名称 | Okinawa Miyako Hospital |
前身 |
宮古民生府立結核療養所 琉球政府立宮古病院 |
標榜診療科 | 内科、呼吸器内科、消化器内科、循環器内科、神経内科、外科、消化器外科、心臓血管外科、脳神経外科、整形外科、精神科、小児科、皮膚科、泌尿器科、産科、婦人科、眼科、耳鼻咽喉科、リハビリテーション科、放射線科、救急科、歯科口腔外科、麻酔科、腎臓内科[1] |
許可病床数 |
305[2] 一般病床:250[2] 精神病床:49[2] 感染症病床:3[2] 結核病床:3[2] |
職員数 | 305人(2015年4月1日現在)[1] |
開設者 | 沖縄県 |
管理者 | 本永 英治(病院長)[3] |
開設年月日 | 1950年1月[1] |
所在地 |
〒906-8550 |
位置 | 北緯24度47分57.64秒 東経125度16分34.84秒 / 北緯24.7993444度 東経125.2763444度座標: 北緯24度47分57.64秒 東経125度16分34.84秒 / 北緯24.7993444度 東経125.2763444度 |
二次医療圏 | 宮古 |
PJ 医療機関 |
沿革
編集- 1950年(昭和25年)1月 - 宮古民政府立結核療養所として開設[4]。
- 1957年(昭和32年) - 平良市(現在の宮古島市平良)字東仲宗根807番地に新築移転(木造平屋建)[4]。
- 1960年(昭和35年) - 琉球政府立宮古病院に改称[4]。
- 1972年(昭和45年)5月15日 - 本土復帰により沖縄県立宮古病院に改称[4]。
- 1975年(昭和50年)8月1日 - 附属佐良浜診療所を廃止[1]。
- 1977年(昭和52年)2月 - 敷地内に新築移転[1]。
- 1995年(平成7年)5月1日 - 附属池間診療所を休止[1]。
- 2011年(平成23年)3月31日 - 新築移転工事に着手[1]。
- 2013年(平成25年)6月1日 - 宮古島市平良字下里の沖縄県立宮古農林高等学校運動場跡に新築移転し、開院[4]。
移転
編集2013年(平成25年)6月1日に、宮古島市平良字下里の沖縄県立宮古農林高等学校運動場跡に新築移転し、開院した。旧病院跡地には、図書館と公民館を併設する宮古島市未来創造センターが建設され[5]、2019年(令和元年)8月17日に開館した[6][7]。
診療科目
編集附属診療所
編集かつては他に宮古島市平良池間(池間島)に池間診療所があったが、1995年(平成7年)5月1日から休止しており、2013年(平成25年)3月30日に廃止された[1]。
交通
編集近隣の施設
編集- カママ嶺公園
- 沖縄県立宮古総合実業高等学校
脚注
編集- ^ a b c d e f g h i j k “平成27年度版 沖縄県立病院年報 第I章 県立病院の概況” (PDF). 沖縄県病院事業局県立病院課. 2019年8月16日閲覧。
- ^ a b c d e “沖縄県立宮古病院 公的医療機関等2025プラン” (PDF). 沖縄県立宮古病院 (2018年9月). 2019年8月16日閲覧。
- ^ a b “病院の現況”. 沖縄県立宮古病院. 2019年8月16日閲覧。
- ^ a b c d e 宮古病院の歴史 沖縄県立宮古病院
- ^ “旧宮古病院跡地売却を承認/国有財産審議会”. 宮古毎日新聞. (2014年6月18日)
- ^ “広がる読書空間/市未来創造センター”. 宮古毎日新聞. (2019年8月15日)
- ^ “未来創造センター、17日に開館”. 宮古新報. (2019年8月15日)
- ^ “来月3日から宮古病院経由/宮古協栄バス”. 宮古毎日新聞. (2013年5月30日)
- ^ “宮古協栄バス系統図” (PDF). 宮古協栄バス. 2019年8月16日閲覧。
- ^ “宮古協栄バス総合時刻表” (PDF). 宮古協栄バス. 2019年8月16日閲覧。