沖村 (北名古屋市)

日本の愛知県北名古屋市の地名

沖村(おきむら)は、愛知県北名古屋市の地名。

沖村
松林寺
松林寺
日本の旗 日本
都道府県 愛知県の旗 愛知県
市町村 北名古屋市
等時帯 UTC+9 (日本標準時)

地理

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五条川の中流域の東岸に位置する[1]。低湿地だったことが名称の由来とされる[1]。特産品として「沖のいちじく」がある[2]

歴史

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近世以前

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石碑「林通勝邸跡」

沖村には林秀貞(林通勝)が居城する沖村城があり、林主計は織田信雄織田信長に仕えていた[1]

江戸時代には尾張藩領の春日井郡沖村であり、清洲代官所の支配を受けていた[1]。村高は「寛文郷帳」や「天保郷帳」によると1287石余であり、「旧高旧領」によると尾張藩領分が1277石余で犬山藩領分が317石余である[1]。1868年(明治元年)には尾張藩と犬山藩の相給となった[1]

近代

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1880年(明治13年)には春日井郡が分割されて西春日井郡東春日井郡が発足し、沖村は西春日井郡に組み込まれた[1]

1889年(明治22年)には町村制によって西春日井郡下拾箇村が発足し、下拾箇村の大字として沖村が設置された[1]。下拾箇村の村役場は沖村に置かれている[1]

1906年(明治39年)には下拾箇村、九之坪村上拾箇村が合併して西春村が発足し、西春村の大字として沖村が設置された[1]。1935年(昭和10年)の世帯数は141、人口は775だった[1]

現代

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1963年(昭和38年)には西春村が町制を施行して西春町が発足し、西春町の大字として沖村が設置された[1]

1967年(昭和42年)から1973年(昭和48年)には土地改良事業が行われた[1]

施設

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日進医療器

名所・旧跡

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松林寺の亀甲竹林
  • 日吉社 - 神社。旧称は山王社[1]
  • 児社 - 神社。旧称は権現社[1]
  • 松林寺 - 真宗大谷派の寺院[1]。亀甲竹林、伊吹木(イブキ)、銀杏(イチョウ)が北名古屋市天然記念物[3]
  • 徳岩寺 - 臨済宗の寺院[1]
  • 入明寺 - 真宗大谷派の寺院[1]
  • 光運寺 - 浄土宗の寺院。旧称は阿弥陀堂[1]
  • 報還寺 - 浄土宗の寺院。慶長年間には本尊の薬師如来が疫病から村人を救ったとされる[1]
  • 林通勝邸址 - 戦国武将である林秀貞の居宅跡。北名古屋市指定史跡[3]

出身者

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銅像「高田知文氏像」と石碑「高田知文翁之碑」
  • 高田知文 - 楼主。文久3年(1863年)に松林寺に生まれ、1885年(明治18年)に名古屋市花園町の高田家に養子に入ると[4][5]大須旭廓にある貸座敷兼芸妓置屋「金波楼」の楼主として成功を収めた[5]。故郷の沖村には沖村公会堂や沖村公園などの建物を建設し、九之坪と沖村を結ぶ高田街道を建設している[4]。また、日露戦争日独戦争の戦没者の忠魂碑を建設するなど、様々な社会事業に私財を投じた[5]。1944年(昭和19年)の死去後には財団法人高田知文報恩会が設立され、長く活動を続けた[5]。松林寺の門前に銅像と顕彰碑がある[5]
  • 半谷音吉 - 実業家。広正製陶創業者[6]徳岩寺境内に銅像がある。

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t 『角川日本地名大辞典 23 愛知県』p.311
  2. ^ 北名古屋市商工祭 出店 北名古屋市商工会青年部、2017年11月3日
  3. ^ a b 史跡・文化財3 北名古屋市
  4. ^ a b 『西春町史 通史編1』pp.316-317
  5. ^ a b c d e 「旭廓・金波楼の絵葉書」『東海遊里史研究 3』東海遊里史研究会、2023年、pp.78-93
  6. ^ 浅野四郎『半谷音吉伝』広正製陶、1965年

参考文献

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  • 「角川日本地名大辞典」編纂委員会『角川日本地名大辞典 23 愛知県』角川書店、1989年。 
  • 西春町史編集委員会『西春町史 通史編1』西春町、1983年。