西周から春秋時代に江漢流域にあった諸侯国

(しん)は、周公旦の後裔であり、西周から春秋時代流域にあった諸侯国で、春秋時代には強大な隣国に従属することが多く、柏挙の戦いの前にに滅ぼされた。

初期 - 春秋時代昭侯13年夏
国姓 姫姓
爵位 子爵
国都
安徽省阜陽市臨泉県
分封者 不詳
始祖 周公旦の後裔
滅亡原因 柏挙の戦いの前ににより滅亡(『史記』)
史書の記載春秋左氏伝
(文公3年に初見)
『史記』(管蔡世家)
周朝諸侯国一覧
テンプレートを表示

汾水流域には他に古沈が遠く周王朝成立前に存在し、その地は春秋時代にはの国内となっており、「春秋左氏伝」の昭公元年に記載が見られる。

建国

編集

北宋欧陽脩の「新唐書」中の「宰相世系表」には、沈の始祖は周の文王の子の冉季載としているが、この説は確かではない。

「殷周金文集成」に収録されている、西周初期の青銅器「沈子它簋」があり、その銘文の釈読は比較的難しいが、銘文中に「周公」の2字があることが確認されている。許倬雲及び温廷敬らの学者はこの銘文によって、沈は西周初期の周公旦の後裔であって、冉季載ではないことを指摘している。

参考

編集