汶山郡
汶山郡(ぶんざん-ぐん)は、中国にかつて存在した郡。文山郡とも書かれた。漢代から隋代にかけて、現在の四川省北部に設置された。
概要
編集紀元前111年(元鼎6年)、漢の武帝が冉駹の首長を殺害し、その地に文山郡を立てた[1]。紀元前67年(地節3年)、文山郡は廃止され、蜀郡に併合された[2]。
後漢の末年、劉備が蜀を平定すると、蜀郡北部の地を汶山郡と改めて、陳震を汶山太守とした[3]。
231年(建興9年)、蜀漢の馬忠が張嶷らを率いて汶山郡で反抗する羌を討った[4]。
晋のとき、汶山郡は汶山・升遷・都安・広陽・興楽・平康・蠶陵・広柔の8県を管轄した[5]。
南朝斉のとき、汶山郡は都安・斉基・晏官の3県を管轄した[7]。
583年(開皇3年)、隋が郡制を廃すると、汶山郡は廃止されて、蜀州に編入された。まもなく会州と改められた。607年(大業3年)に州が廃止されて郡が置かれると、会州は汶山郡と改称された。汶山郡は汶山・北川・汶川・交川・通化・左封・平康・翼水・翼針・江源・通軌の11県を管轄した[8]。