池田 正辰(いけだ まさとき、1916年3月7日 - 1982年5月30日[1]は、日本政治家鹿児島県姶良郡蒲生町長(3期)[1]

経歴

編集

鹿児島県蒲生町(当時・蒲生村、現:姶良市の一部)出身[2]。旧制の鹿児島県立第二鹿児島中学校(現:鹿児島県立甲南高等学校)を経て[2]、1936年に第七高等学校造士館(現:鹿児島大学)を卒業[3][4]。1940年に[3]京都帝国大学経済学部卒業[2][3]日本石油株式会社に入社し勤務するが[2][3]、1941年に応召し、1946年に復員[3]。1947年に[3]鹿児島県庁職員となり[1][2][3]、鹿児島県林務部長[3]、鹿児島県東京事務所長[4]などを歴任。その後、郷里の町長選に出馬当選し1973年5月より第11代蒲生町長[1]。在職中は生活環境の整備や住民の福祉増進に尽力した[1]ほか、鹿児島県造林協会理事も務めた[3]。町長3期目を満了せず逝去[1]

オペラ歌手の池田直樹は息子[3][5]

脚注

編集
  1. ^ a b c d e f 蒲生郷土誌編さん委員会『蒲生郷土誌』蒲生町、1991年、422, 907頁。
  2. ^ a b c d e 片平恒文 編『鹿児島を動かす人びと』維新社、1968年。
  3. ^ a b c d e f g h i j 『現代人物事典 出身県別 西日本版』サン・データ・システム、1980年6月、1869頁。
  4. ^ a b 七高史研究会『七高造士館で学んだ人々 改訂版』2001年。
  5. ^ 蒲生町町制80周年記念事業 郷土出身者講演会(関東龍門会pdf)