池田宣政 (侯爵)
昭和期の政治家、実業家、華族。侯爵、貴族院議員。旧岡山藩池田家15代、侯爵岡山池田家4代。池田詮政の三男
池田 宣政(いけだ のぶまさ、1904年(明治37年)7月1日[1][2] - 1988年(昭和63年)1月9日[1][2][3])は、昭和期の政治家、実業家、華族。侯爵、貴族院議員。旧岡山藩池田家第15代当主。初名は政鈞[1]。
経歴
編集岡山県岡山市[2]で、旧岡山藩主家13代当主、侯爵・池田詮政の三男として生まれる[1][2][4]。学習院高等科で学んだ[2][3]。兄で先代の池田禎政がスペインかぜのため26歳で早世し、未婚により子供がいなかったため1920年(大正9年)家督を相続し[2]、同年3月10日、侯爵を襲爵した[1][5]。1925年(大正14年)欧米各国を視察した[3]。
1934年(昭和9年)6月30日、満30歳となり貴族院侯爵議員に就任[2][6]。農林省委員、農商務省委員、厚生省行政委員、帝国飛行協会(現日本航空協会)理事などを務めた[2][3][4]。
渋谷区神宮前にある東郷神社は、池田宣政の私邸約2万坪のうち1万2千坪の敷地が譲渡されて、1940年(昭和15年)に建設された[7]。
1947年(昭和22年)日本国憲法の施行により華族の身分を喪失。日本コリークラブ会長、霞会館理事長などを務めた[2]。1959年(昭和34年) 日本狆クラブ設立に参加し副会長に就任[要出典]。1969年(昭和44年)同会長・旧皇族、東久邇盛厚の死去により会長に就任した[要出典]。
親族
編集脚注
編集参考文献
編集- 人事興信所編『人事興信録 第14版上』人事興信所、1943年。
- 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
- 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成 上巻』霞会館、1996年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 『岡山県歴史人物事典』山陽新聞社、1994年。
日本の爵位 | ||
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先代 池田禎政 |
侯爵 (岡山)池田家第4代 1920年 - 1947年 |
次代 華族制度廃止 |
家長 | ||
先代 池田禎政 |
旧岡山藩池田家15代当主 1920年 - 1988年 |
次代 池田隆政 |