池田定保
因幡若桜藩(鳥取西館新田藩)7代藩主
池田 定保(いけだ さだやす)は、因幡若桜藩(鳥取西館新田藩)の第7代藩主。
時代 | 江戸時代後期 |
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生誕 | 文化2年7月29日(1805年8月23日) |
死没 | 弘化4年7月17日(1847年8月27日) |
改名 | 六丸・尚五郎(幼名)、定保 |
別名 | 通称:兵部、式部、刑部 |
戒名 | 譲徳院義山全智 |
墓所 | 東京都墨田区の弘福寺 |
官位 | 従五位下、長門守 |
幕府 | 江戸幕府 |
藩 | 因幡国若桜藩主 |
氏族 | 池田氏 |
父母 |
父:池田定常、母:柿沼氏 養父:池田定興 |
兄弟 |
徽子(青木一貞室)、煕子、定興、 池田喜長室、恵子、茄子、恭之助、 力三郎、千之丞、常久、昌子、 鎮子(織田秀陽室)、春子、定保、定足、房子、池田政行室、露 |
妻 | 正室:岡部長慎の娘 |
子 |
定位(長男)、静子(池田清緝正室)、 寛子(池田慶徳正室)、養子:清直 |
略伝
編集文化2年(1805年)7月29日、第5代藩主であった池田定常の六男として鳥取で生まれる。定常は定保が生まれる前の享和2年(1802年)に隠居し、長男(定保の異母兄)の定興が第6代藩主となっていたが、定興が文化4年(1807年)11月3日に早世したため、定保がその養子として文化5年(1808年)2月4日に幼くして家督を継いだ。
江戸城御門番を勤めた後、文化11年(1814年)に二条城の大番頭に任じられた。文政5年(1822年)12月26日、従五位下・長門守に叙位・任官する。天保3年(1832年)に大坂城定番に任じられた。弘化4年(1847年)7月17日、江戸で死去した。享年43。跡を養子の清直が継いだ。