池田十三郎
池田 十三郎(いけだ じゅうざぶろう、1870年8月29日〈明治3年8月3日〉[1] - 1947年12月21日)は明治から大正にかけての逓信官僚。朝鮮総督府逓信局長官を務めた。
経歴
編集1870年8月29日、肥前国佐賀で、長崎県士族・池田陽雲の四男として生まれ、叔父・玄泰(1836年9月生[1])の養子となる[1]。1892年、東京帝国大学法科大学独法学科を卒業し、法学士を取得[1]。官吏になり、同年7月、東京郵便電信学校教授に就任[2]。同年11月の茨城県出張[3]、1895年の京都府出張[4]などを経て、1906年1月10日より統監府通信管理局長[5]、1910年に朝鮮総督府通信局長官、のち改称に伴い逓信局長官[1]。1917年6月6日まで逓信局長官を務めて[6]退官し、日本染料会社取締役社長に就任、1919年に退任[7]。1918年には家督を相続した[7]。
1917年には正四位勲二等に叙勲されている。[8]
家族
編集脚注
編集- ^ a b c d e 『人事興信録 第4版』い124、人事興信録第4版池田十三郎
- ^ 『官報』第2719号「叙任及辞令」1892年7月21日。
- ^ 『官報』第2813号「叙任及辞令」1892年11月11日。
- ^ 『官報』第3567号「叙任及辞令」1895年5月23日。
- ^ 『官報』第6757号「叙任及辞令」1895年5月23日。
- ^ 『官報』第1454号「叙任及辞令」1917年6月7日。
- ^ a b 『人事興信録 第8版』イ104、人事興信録第8版池田十三郎
- ^ “元朝鮮総督府度支部長官荒井賢太郎外四名特旨叙位ノ件○元特命全権公使荒川巳次外一名、海軍水路大監大後五郎”. www.digital.archives.go.jp. 2023年6月12日閲覧。