池上 裕次(いけがみ ゆうじ、1964年9月13日[1] - )は、埼玉県出身の元競艇選手である。登録番号は3245。埼玉支部所属。58期[2]。同じ埼玉支部所属の平石和男と同期。叔父(母の弟)は競艇選手の皆川武[1]

池上裕次
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 埼玉県
生年月日 (1964-09-13) 1964年9月13日(60歳)
身長 165cm
体重 50kg
血液型 O型
選手情報
所属 埼玉支部
登録番号 3245
登録期 58期
特徴 自在
選手実績
デビュー日 1986年
選手引退日 2020年6月17日
SG優勝 1
GI/PGI優勝 5
通算優勝 60回
通算勝利 1983勝(通算7738戦)
主要獲得タイトル
テンプレートを表示

来歴

編集

1964年9月13日福島県石城郡湯本町(現・いわき市)に生まれる[1]。叔父(母の弟)は競艇選手の皆川武で、池上自身も小学生の頃にはすでに競艇選手を志していたという[3]

埼玉で育った後、中学校時代に福島県いわき市へ移る[4]福島県立湯本高等学校に進学するが、1年生の時に「どうせ大学へは行かないんだから」という理由で中退し、自動車工場でアルバイトをしながら競艇選手を目指した[4]。競艇選手養成所の試験に落ち続け、家族から諦めるよう説得されるが「競艇選手以外の人生は考えられない」と受験を続け、6回目の受験で合格[5]。1985年春に58期生として入所し、模擬レースで勝率1位を記録[2]。デビューから半年でC級からA級へと昇級し、1988年には3回優勝し最優秀新人賞を受賞した[2]

1991年に、戸田競艇場での35周年記念競走でGI初優勝。2000年に、戸田競艇場で行われた第47回全日本選手権[† 1]で1号艇で優出。4号艇の川崎智幸とのデッドヒートを繰り広げ、最後は3周1マーク川崎智幸が転覆失格という壮絶な展開の中、SG初優勝となった[6]

2020年4月26日、平和島競艇場でのレース中に負傷しその回復が思わしくないことなどから、同年6月17日に選手登録を消除、現役を引退した[7]

人物・エピソード

編集
  • 現役時代にSG1勝、GI5勝をあげているが、これはすべて地元戸田競艇場で行われたSG・GIでの優勝である。これらの実績から「戸田天皇」と称された。
  • ハイテンションな一面がある。2006年に、戸田競艇場で行われた第33回笹川賞競走(笹川賞)では、ドリーム戦選出。ドリーム戦出場者インタビューでは終始テンションが高く、会場の笑いを誘うようなコメントをしていた。また、SG初勝利をあげた埼玉支部の選手の水神祭では、一緒になって水面に飛び込んだり(1人で3回も水面に飛び込んでいたという)、1000勝を達成した埼玉支部所属の滝沢芳行の公開水神祭では、戸田競艇場のマスコットである「ウインビー」の着ぐるみを着た。
  • 2ちゃんねらーとしても知られ、過去にG1・SGの開会式で2ちゃんねる用語を多用した挨拶を何度も行っている。このため、2003年には2ちゃんねらーの間で「池上裕次を笹川賞のファン投票で1位にしよう」という運動が行われ、これに感謝した池上が笹川賞の開会式で「さいたまさいたまバッヂ」をファンにプレゼントしたこともある。
  • 自身の小学校時代、転勤族の家族として生まれた。転校先の小学校で、自身が標準語という理由でいじめにあったこともあった。

主なSG・GIタイトル

編集

戦績

編集
  • 出走回数:7738回
  • 1着回数:1983回
  • 優出回数:60回
  • フライング(F)回数:44回
  • 出遅れ(L)回数:1回
  • 通算勝率:6.57
  • 2連対率:46.19
  • 3連対率:62.54
  • 生涯獲得賞金:1,301,242,686円

脚注

編集

注釈

編集
  1. ^ なお同競走は史上初の同一年度SG4連覇を賭けて出走した西島義則が注目されていたが、予選落ちとなった。

出典

編集

参考文献

編集
  • 蛭子能収『競艇入門』ポケットブック社〈Pocket book 38〉、1992年。ISBN 978-4-341-14038-0 
  • 木村幸治『水上の格闘者たち』講談社、1992年。ISBN 978-4-06-204715-9 

外部リンク

編集