池上女王
池上女王(いけのえじょおう/いけのえのおおきみ、生没年不詳)は、奈良時代の日本の皇族。系譜は不詳。位階は従三位・勳二等。
生涯
編集聖武朝末期の天平19年(747年)正月、久勢女王らとともに無位から従五位下に叙爵される[1]。
その後、しばらく昇進していないが、天平宝字4年(760年)正月、高野天皇(孝謙上皇)と淳仁天皇が太師である恵美押勝の田村第に行幸した折に、藤原恵美氏の家司である巨勢広足や、押勝の室である藤原袁比良、女官の飯高笠目らとともに昇叙され、行幸に従った陪従の五位以上のものとして、銭を与えられている[2]、同年の東大寺写経所雑文案には、「阿弥陀浄土一鋪、六幅者、右依池上王今月廿三日宣奉請内裏」と見えている[3]。以後の昇進ははやく、天平宝字5年(761年)正月、同7年(763年)9月と昇叙を続けている。
藤原仲麻呂の乱の際には、孝謙上皇側に与したらしく、天平宝字8年(764年)9月、和気王・山村王・藤原百能とともに従三位に昇叙され、天平神護元年(765年)正月には、女官としては最高の勲二等を授けられている[4]。
官歴
編集『続日本紀』による