池の谷古墳
池の谷古墳(いけのたにこふん、池ノ谷古墳)は、三重県津市垂水にある古墳。形状は前方後円墳。津市指定史跡に指定されている。
池の谷古墳 | |
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古墳入り口 | |
別名 | 池ノ谷古墳 |
所在地 | 三重県津市垂水 |
位置 | 北緯34度41分22.50秒 東経136度30分19.45秒 / 北緯34.6895833度 東経136.5054028度座標: 北緯34度41分22.50秒 東経136度30分19.45秒 / 北緯34.6895833度 東経136.5054028度 |
形状 | 前方後円墳 |
規模 |
墳丘長90m 高さ5m(後円部) |
埋葬施設 | 不明 |
出土品 | 円筒埴輪 |
築造時期 | 4世紀末-5世紀初頭 |
史跡 | 津市指定史跡「池の谷古墳」 |
地図 |
概要
編集三重県中部、垂水丘陵東端部の丘陵尾根上の、伊勢平野・伊勢湾を一望する位置に築造された古墳である[1][2]。これまでに中世期に城砦(池ノ谷砦)として利用され空堀・土塁が構築されているほか、宅地造成の際に前方部の一部が削平を受けている[3][2]。
墳形は前方部が広がらない前方後円形で[2]、墳丘主軸を海岸線と平行方向として前方部を北方向に向ける[1]。墳丘は2段築成[2]。墳丘長は約90メートルを測り、津市内ひいては安濃川流域では最大規模になる[1]。墳丘外表では円筒埴輪が検出されているが、葺石は認められていない[2]。埋葬施設は明らかでないが[1]、墳頂部では盗掘坑と見られる窪みが認められる[3]。
この池の谷古墳は、古墳時代中期の4世紀末-5世紀初頭頃の築造と推定される[2]。伊勢湾西岸では有数の前方後円墳として重要視されるとともに[2]、周辺では相川と天神川の合流地点である藤方(藤潟)に古代の潟湖(ラグーン)が存在したと想定されており、この潟湖を掌握して見下ろす臨海性古墳として評価される古墳である[3][4]。また特に、古墳時代前期の中勢地方では阿坂山周辺で前方後方墳(向山古墳など)が営造され強い在地性が示唆される一方、池の谷古墳から宝塚1号墳(松阪市)に続く大型前方後円墳ではヤマト王権への強い従属性が示唆されており、当該時期におけるヤマト王権による東国支配の進展が指摘される[5]。
遺跡歴
編集墳丘
編集墳丘の規模は次の通り(団地造成前の測量調査結果)[3][2]。
- 墳丘長:90メートル
- 後円部 - 2段築成。
- 直径:50メートル
- 高さ:5メートル
- 前方部 - 2段築成。
- 幅:28メートル
- 高さ:2-3メートル
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後円部墳頂
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前方部から後円部を望む
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後円部から前方部を望む
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前方部の空堀
文化財
編集津市指定文化財
編集- 史跡
- 池の谷古墳 - 1980年(昭和55年)4月21日指定[6]。
脚注
編集参考文献
編集- 史跡説明板(津市教育委員会設置)
- 地方自治体発行
- 「池の谷古墳(歴史散歩15)」 (PDF) (津市ホームページ)
- 「池の谷古墳」『三重県史 資料編 考古1』三重県、2005年。
- 事典類
- 穂積裕昌「池の谷古墳」『続 日本古墳大辞典』東京堂出版、2002年。ISBN 4490105991。
- 「池ノ谷古墳」『日本歴史地名大系 24 三重県の地名』平凡社、1983年。ISBN 4582490247。