江藤正修
昭和から平成時代の社会運動家、ジャーナリスト
江藤 正修(えとう まさのぶ、1944年[1] - 2017年5月24日)は、昭和から平成時代の社会運動家、ジャーナリスト。政治グループ・MELTの中心メンバー[2]。『労働情報』編集長[3]。
経歴
編集東京都杉並区、埼玉県川口市で育ち、中学生のとき隣家の共産党員から影響を受けた。1960年、埼玉県立浦和西高校に入学[4]。1962年、日本社会主義青年同盟に加盟[1]。1963年、高校の先輩で後に全国反戦委員会世話人となる村上明夫により社青同構造改革派(後の主体と変革派)の一員となった[5]。高校卒業後、一浪して法政大学文学部に入学。1966年頃に村上の誘いで社青同の専従となり[6]、1968年に埼玉県反戦青年委員会事務局長となった[1]。
70年闘争の後は左翼運動から離れてサラリーマン生活を送っていたが、社青同に加入していた第四インターメンバーと再会したことが契機となり[6]、1974年に第四インターナショナル日本支部に加盟した。1976年から『季刊労働運動』編集部員、1977年の創刊時から2004年まで『労働情報』事務局員を務めた[1]。1987年に第四インターから分派した第四インターナショナル日本支部再建準備グループ(MELT)メンバーとなった[1]。2008年時点で「現代の労働研究会」事務局長[7]。2017年5月24日に死去、享年72歳[2]。
著書
編集脚注
編集- ^ a b c d e 川上徹『戦後左翼たちの誕生と衰亡――10人からの聞き取り』同時代社、2014年、本書登場人物略歴
- ^ a b インターナショナル 2017年8月31日 第228号 政治グループ・MELT
- ^ 労働者階級解放の夢〜「労働情報」元編集長・江藤正修さんを偲ぶ会 レイバーネット日本(2017年10月29日)
- ^ 川上徹『戦後左翼たちの誕生と衰亡――10人からの聞き取り』同時代社、2014年、132-137頁
- ^ 江藤正修 反戦青年委員会の総括(上) フロント(社会主義同盟)
- ^ a b 川上徹『戦後左翼たちの誕生と衰亡――10人からの聞き取り』同時代社、2014年、138-139頁
- ^ 研究会 : 10月18日・「私」と戦後日本の社会運動――国鉄労働運動 ピープルズ・プラン研究所(2008年10月15日)