江羅直三郎
日本の政治家
江羅 直三郎(えら なおざぶろう、1875年12月25日[1][2] - 1939年12月8日[3][4])は、日本の政治家。衆議院議員(1期)。旧姓は北村[2]。
江羅直三郎 えら なおざぶろう | |
---|---|
| |
生年月日 | 1875年12月25日 |
出生地 | 日本 和歌山県和歌山市 |
没年月日 | 1939年12月8日(63歳没) |
出身校 |
哲学館卒業 (現・東洋大学) |
前職 | 京華日報記者 |
所属政党 |
(憲政会→) (無所属→) (立憲政友会→) 立憲民政党 |
宗教 | 日蓮宗 |
選挙区 | 京都府第1選挙区 |
当選回数 | 1回 |
在任期間 | 1937年 - 1939年12月8日 |
第36代 京都府会議長 | |
在任期間 | 1935年11月15日 - 1937年5月2日 |
選挙区 | 京都市上京区選挙区 |
当選回数 | 3回 |
在任期間 |
1915年 - ? 1923年 - 1937年 |
京都市会議員 | |
当選回数 | 5回 |
在任期間 |
1910年 - ? 1929年 - ? 1937年 - ? |
経歴
編集和歌山県和歌山市生まれ[2]。1889年、日蓮宗学林を卒業した[2]。1891年12月に日蓮宗の僧侶である叔父の江羅日明の養子となる[2]。1891年、日蓮宗宮谷大学林を卒業した[3]。1895年、哲学館(現・東洋大学)を卒業する[3][5]。その後は、京都で僧侶になる為の修行を積んだ[5]。1907年に京華日報が創立すると記者となり、後に副社長となった[5]。
1910年4月に京都市会議員に当選した[5]。以後、1913年、1917年、1929年、1937年と5選を果たした[5]。また、1915年9月には京都府会議員となった[5]。以後、1923年(憲政会所属)、1927年(無所属)と当選した[5]。1928年の第16回衆議院議員総選挙に立候補したが、落選した[5]。1931年からは政友会となり、1935年まで当選を重ねた[5][注釈 1]。そして、1935年11月15日から1937年5月2日まで第36代府会議長を務めた[6]。
1937年の第20回衆議院議員総選挙において京都1区(当時)から立憲政友会公認で立候補して当選した[7]。これに伴い、同年5月に府会議員を辞職した[5]。1939年12月8日、狭心症のため衆議院議員在職中に死去した[4]。
このほか、1933年12月には、初代西陣著尺織物工業組合理事長となった[5]。
法廷で警察署の留置場を「豚箱」と語り、警察署の留置場が「豚箱」と呼ばれるきっかけを作った人物でもある[8]。
出典
編集注釈
編集脚注
編集- ^ 衆議院『第七十一回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1937年、3頁。
- ^ a b c d e 『京都府議会歴代議員録 87コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ a b c 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』102頁。
- ^ a b 『京都府議会歴代議員録 89コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ a b c d e f g h i j k l 『京都府議会歴代議員録 88コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ “京都府議会/歴代議長・副議長”. www.pref.kyoto.jp. 2024年1月5日閲覧。
- ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』118頁。
- ^ “警察署の留置所が「豚箱」と呼ばれるのはなぜ?”. 政治ドットコム. 2024年7月13日閲覧。
参考文献
編集- 日本国政調査会編『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』国政出版室、1977年。
- 『議会制度百年史 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。