江竜清雄
江竜 清雄(江龍 淸雄、えりゅう すがお、1833年(天保4年11月[1][2][注釈 1]) - 1904年(明治37年)11月21日[2])は、日本の政治家、衆議院議員(1期)。
経歴
編集山城国葛野郡大内村(のち京都府葛野郡大内村、現・京都市)生まれ[1][注釈 2][注釈 3]。国学と漢学を学ぶ[2]。区長、滋賀県坂田、浅井各郡長、徴兵参事官、郡所得税調査委員となる[2]。また、私塾典学館を興し、子弟を育成した[1]。
1892年の第2回衆議院議員総選挙において滋賀4区から中央交渉会所属で立候補して当選する[3]。衆議院議員を1期務め、1894年3月の第3回衆議院議員総選挙は不出馬。1904年に死去した。
脚注
編集注釈
編集出典
編集参考文献
編集- 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』衆議院事務局、1940年。
- 日本国政調査会編『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』国政出版室、1977年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。