永川満寿
永川 満寿(ながかわ みつひさ、1973年4月22日 - )は、兵庫県西宮市出身の元プロ野球選手(内野手)。右投右打。
基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 兵庫県西宮市 |
生年月日 | 1973年4月22日(51歳) |
身長 体重 |
184 cm 82 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 内野手 |
プロ入り | 1991年 ドラフト7位 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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来歴
編集西淀川高校時代に通算28本塁打を記録し、荒削りながら大型の遊撃手として注目された[1]。1991年のプロ野球ドラフト会議を控え、進学・就職とも考えずにプロ入りを希望しており、同会議で中日ドラゴンズから7位で指名され[1]、同年11月30日、契約金1800万円、年俸400万円の条件で中日との契約に合意した[2][3]。背番号は57[4]。
1992年の1シーズンのみ中日に在籍したが、一軍公式戦への出場機会はなく、肩の故障のため[5]、同年11月27日付で任意引退選手として公示された[6]。
選手としての特徴
編集中央球界では無名ながら、高校1年生のころから打球飛距離の長さが注目され、また100メートルを11秒台という俊足の持ち主であったことから、将来の大型内野手として期待されていた[8]。担当スカウトの中田宗男は、高校生ながらボールをバットに乗せて運ぶ打撃技術を有している点を評価していた[8]。
詳細情報
編集年度別打撃成績
編集- 一軍公式戦出場なし
背番号
編集- 57 (1992年)
脚注
編集- ^ a b 『朝日新聞』1991年11月23日名古屋朝刊第14版スポーツ面16頁「高木竜、即戦力補強できず 斎藤投手浜名内野手とれず 落合、右ヒジに不安 若林弘未知数」「落合は硬い表情 最後は笑顔も」「若林隆「うれしい」」「佐々木「ラッキー」」「若林弘「来年は勝負」」「井手元「中日は好き」「「すぐ一軍」と佐野」「永川は修業も覚悟」(朝日新聞名古屋本社)
- ^ 『中日新聞』1991年12月1日朝刊運動1面25頁「若林弘、竜の即戦力に 契約金5500万で合意 7位永川の入団も決定」(中日新聞社)
- ^ 『朝日新聞』1991年12月1日名古屋朝刊第14版スポーツ面23頁「ドラフト情報 30日」(朝日新聞名古屋本社)
- ^ 『中日新聞』1991年12月21日朝刊運動1面19頁「“七人の侍”そろった! 中日新入団選手を発表 落合英「優勝に貢献を」」(中日新聞社)
- ^ 『中日新聞』1992年11月27日朝刊運動1面「プロ野球短信 26日 永川が任意引退選手」(中日新聞社)
- ^ 『毎日新聞』1992年11月28日東京朝刊第14版スポーツ面21頁「プロ野球公示(27日)」(毎日新聞東京本社) - 縮刷版1101頁。
- ^ 株式会社ベスト不動産
- ^ a b 『中日新聞』1991年11月27日朝刊運動1面27頁「中日 若林弘が入団快諾 7位の永川も目輝かせ」(中日新聞社)