永井金次郎
永井 金次郎(ながい きんじろう、1874年(明治7年)5月3日[1] - 1927年(昭和2年)4月3日[2])は、日本の内務官僚。政友会系官選高知県知事、樺太庁長官。
経歴
編集新潟県出身[1]。1897年、東京法学院(現:中央大学)を卒業。同年、判事検事登用試験に合格し司法官試補となる。同年12月、文官高等試験行政科試験に合格。1898年、内務省に転じ青森県在勤となる[1][3]。
以後、青森県参事官、千葉県参事官、広島県事務官、富山県事務官・第一部長兼第三部長[4]、同内務部長などを歴任[1]。
第1次山本内閣により1913年6月、高知県知事に任命された。県財政の積極的拡大を図った。1914年6月に休職となった[1]。1917年1月、小樽区長に就任[5]。1919年4月、樺太庁長官に就任し、1924年6月11日まで務め休職となる[6]。同月20日に退官した[3][7]。墓所は多磨霊園[8]。
脚注
編集参考文献
編集- 歴代知事編纂会編『新編日本の歴代知事』歴代知事編纂会、1991年。
- 秦郁彦編『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』東京大学出版会、2001年。
- 『「現代物故者事典」総索引 : 昭和元年~平成23年 1 (政治・経済・社会篇)』日外アソシエーツ株式会社、2012年。