永井 直矢(ながい なおつら)は、摂津高槻藩の第12代藩主。

 
永井 直矢
時代 江戸時代末期(幕末
生誕 天保13年(1842年
死没 慶応元年4月17日1865年5月11日
改名 伝十郎(幼名)、直矢
戒名 本空宗継真諦院
墓所 京都府京都市東山区泉涌寺悲田院
官位 従五位下、従五位上、飛騨
幕府 江戸幕府
摂津高槻藩
氏族 松平氏能見松平家)→永井氏
父母 父:能見松平親良、養父:永井直輝
兄弟 松平親貴直矢
養子:直諒
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略伝

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天保13年(1842年)、豊後杵築藩松平親良の次男として生まれる。文久元年(1861年)9月25日、第11代藩主永井直輝隠居により家督を相続した。幕領3万2300石を預かった。同年9月晦日、京都火消役を命じられる。同年12月16日、従五位下飛騨守に叙任する。

文久3年(1863年)2月29日、上洛する。同年3月2日、二条城の警備を命じられる。同年3月30日、京都警備を命じられる。同年7月19日、京都火消役を命じられる。同年8月18日、二条城の警備を命じられる。元治元年(1864年)5月5日、従五位上に昇進する。

幕末期には佐幕派として大坂・京都の警備を担当した。慶応元年(1865年)4月17日に死去した。享年24。跡を養子の直諒が継いだ。