水井泰子
水井 泰子(みずい やすこ、1975年9月19日 - )は、日本の元バドミントン選手、現性:須賀[1]。夫は、法政大学バドミントン部総監督の須賀隆弘[2]、姉はバドミントン選手の水井妃佐子。
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基本情報 | |||||
生年月日 | 1975年9月19日(49歳) | ||||
性別 | 女性 | ||||
国籍 | 日本 | ||||
出身地 | 奈良県大和高田市 | ||||
身長 | 169cm | ||||
体重 | 58kg | ||||
選手情報 | |||||
利き腕 | 右 | ||||
競技開始年齢 | 全国高等学校総合体育大会 | ||||
種目 | 女子シングルス、女子ダブルス | ||||
日本代表歴 | 1996年 - 2000年 | ||||
主な戦績 | |||||
国際大会 | 女子シングルスベスト8(シドニーオリンピック) | ||||
国内大会 | 女子シングルス優勝(1999年 全日本総合選手権) |
来歴
編集奈良県大和高田市出身。姉である妃佐子の影響でバドミントンを始める[3]。姉と同じ四條畷学園中学校・高等学校に進学。中学校時代は全国中学校バドミントン大会で3年連続出場して1990年、中学校3年次では女子シングルスで優勝を果たしている[4]。
四條畷高校進学後は全国高等学校総合体育大会に3年連続出場し、高校1年(1991年)、高校2年(1992年)と女子シングルスで2年優勝、高校3年(1993年)も決勝に進出したが、中山智香子(当時・旭川実業高等学校)に敗れて3連覇を逃している[5]。また1993年には全日本総合バドミントン選手権大会に出場、高校生ながら決勝まで勝ち進み、優勝を賭けた決勝では姉の妃佐子との姉妹対決となり姉に2-0で敗れたものの、準優勝を果たしている[6]。
四條畷高校卒業後は姉と同じフジチューに入社し、バドミントン部に所属。1996年のアトランタオリンピックに姉と共に出場し、女子シングルスで3回戦敗退している[7]。その後、フジチューからNTT東日本に移籍。1999年の第53回全日本総合バドミントン選手権大会では女子シングルスにて優勝[8]。
2000年にはシドニーオリンピックに出場、女子シングルスで日本選手初となるベスト8進出を果たした[9]。
シドニーオリンピック後に現役を引退[10]。2001年4月8日、ヨネックスオープンジャパン(国立代々木第二体育館)の最終日に引退式を執り行った[11]。
引退後に、同じNTT東日本バドミントン男子部の選手だった[12]、須賀隆弘と結婚。
主な成績
編集年 | 大会 | 種目 | 成績 | Name |
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1993 | 全日本総合 | 女子シングルス | 2 | 水井泰子 |
1996 | アトランタオリンピック | 女子シングルス | 9 | 水井泰子 |
1997 | 台湾オープン | 女子ダブルス | 3 | 水井妃佐子 / 水井泰子 |
1999 | 全日本総合 | 女子シングルス | 1 | 水井泰子 |
2000 | シドニーオリンピック | 女子シングルス | 5 | 水井泰子 |
脚注
編集- ^ 平成27年度オリンピアンふれあい交流事業(兵庫県/バドミントン教室) 日本オリンピアンズ協会 2015年9月5日
- ^ 処分解除の桃田選手が報道陣の取材に 産経ニュース 2017年3月12日
- ^ 水井泰子 アトランタオリンピック1996選手名鑑(バドミントン) 日本オリンピック委員会
- ^ 全国中学校選抜選手権大会 栄光の記録 第11回~第20回 横浜ジュニアバドミントンクラブ
- ^ 栄光のあと 個人対抗の部(1991年~1993年)参照 公益財団法人全国高等学校体育連盟 バドミントン専門部
- ^ 全日本総合 バドミントン選手権大会 女子シングルストーナメント表 (PDF) バドミントン総合情報サイト
- ^ アトランタオリンピックバドミントン競技リザルト 日本オリンピック委員会
- ^ 歴代優勝者 (PDF) 第67回全日本総合選手権大会 日本バドミントン協会
- ^ (9/18)水井が単で日本初の8強へ 日本経済新聞 2000年9月18日付
- ^ バドニュース ばどのホームページ 2001年3月15日付
- ^ YOPJ2011で、引退3選手に花束贈呈! その時突然場内が真っ暗に! ナショナルチーム絵日記(2001年4月8日の項) Real Badminton Players
- ^ 公開講座バドミントンに56人 法政フォトジャーナル 2007年11月26日
外部リンク
編集- 水井 泰子 - 第26回オリンピック競技大会選手名鑑(日本オリンピック委員会)