気象送信所
気象送信所(きしょうそうしんじょ)は、かつて千葉県我孫子市新木野(旧東葛飾郡布佐町)に存在した気象観測施設。ラジオゾンデ[注釈 1]を上げて、高層気象を観測するために設立された建物である[1]。
沿革
編集気象送信所は、室戸台風をきっかけに、気象学者の岡田武松が気象通信網の整備の必要性を唱え、布佐町との交渉の後、1938年に中央気象台出張所として設立された[2][注釈 2]。高さ30メートルの大鉄塔と、布佐町初の鉄筋コンクリート造りの送信所で構成されていた。当時の気象情報は軍事機密事項であり、重要な役割を果たしていた[3]。
1941年、高層気象観測の業務が廃止され、岬角測候所との連絡用無線施設として、気象送信所となって利用されるようになった[2]。
1999年3月に、衛星通信の実用化によって、30メートルの鉄塔や建物は壊され、閉鎖された。跡地は現在、気象台記念公園として利用されている[4][注釈 3]。
エピソード
編集廃止直後、我孫子市は、国に、跡地を無償で返還することを要求した。しかし、返還交渉の前提となる寄付行為の証拠が、布佐町などの旧町村が合併した時に、全て処分されていて問題となった[5]。
脚注
編集注釈
編集- ^ 無線機をつけた風船を毎日1回飛ばし、上空の気温、湿度や気圧などを計測した。
- ^ 布佐町は、1955年4月29日に我孫子市に合併された。
- ^ 公園の一角にはアメダスの設備があり、気象観測業務を行っている。
出典
編集- ^ “戦前の中央気象台長|20世紀の郷土と人|ふれあい交差点|地域とふれあい がすたんパーク|ご家庭のお客さま|京葉ガス”. www.keiyogas.co.jp. 京葉ガス. 2020年7月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年11月10日閲覧。
- ^ a b “広報あびこ 平成31年(2019年) No.1472”. 我孫子市役所. 2022年11月10日閲覧。
- ^ “気象庁予報部無線通信課気象送信所庁舎”. www.chiba-muse.or.jp. 2020年7月10日閲覧。
- ^ 飯白和子. “わが街・わが地域の遺跡・史跡を訪ねる(10)―新木野二丁目の気象台記念公園と布佐陣―” (PDF). 新木地区まちづくり協議会. 2020年7月11日閲覧。
- ^ “我孫子気象送信所の跡地、市が返還要請へ--防災公園など検討”. 毎日新聞 地方版 千葉. (1999).