デモティック (Demotic) または民衆文字(みんしゅうもじ)は、古代エジプトエジプト語を表記するのに使われた3種類の文字のうちの1つである。

デモティック
ロゼッタ・ストーンに刻まれたデモティック
類型: 表語文字 (一部の文字はアブジャドの性格を持つ)
言語: エジプト語
時期: 紀元前650年頃-紀元後5世紀
親の文字体系:
子の文字体系: コプト文字
メロエ文字
Unicode範囲: 割り当てなし
ISO 15924 コード: Egyd
注意: このページはUnicodeで書かれた国際音声記号 (IPA) を含む場合があります。
テンプレートを表示

歴史

編集

古代エジプトでは石に刻むためのヒエログリフ(聖刻文字)と筆記用のヒエラティック(神官文字)の両方が並んで発達し、後にヒエラティックを崩した簡略文字であるデモティックが作られたと考えられる。ただし、デモティック書体で木や石に刻んだものも多く残っている。

デモティックは古くは紀元前660年に使われているのが見つかっており、紀元前600年には古代エジプトでは標準的な書体となったと見られている。4世紀にはエジプトでもギリシア文字を基にしたコプト文字が使われており、デモティックはそれ以後使われなくなった。

後年に見つかっているデモティックの最後の使用例は、紀元452年フィラエ神殿の壁に刻まれたものである。

前期デモティック (Early Demotic)

編集

初期デモティック(ドイツ語ではFrühdemotisch)は、第25王朝後期の下エジプトで発展し、特にサッカラセラペウムから出土した石碑に見られる。初期デモティックのテキストは、ほとんどが第26王朝とその後のアケメネス朝属州(第27王朝)の時代に書かれているため、一般に紀元前650年から紀元前400年の間に作られたと考えられている。プサムテク1世によるエジプト再統一後、上エジプトではデモティックがヒエラティックの後継として、特にイアフメス2世の時代には公式の行政・法律文書に使用された。この時期、デモティックは行政文書、法律文書、商業文書にのみ使用され、ヒエログリフやヒエラティックは宗教文書や文学にのみ使用された。

中期デモティック (Middle (Ptolemaic) Demotic)

編集

中期デモティック(紀元前400年頃〜30年頃)は、プトレマイオス朝で使われていた文字である。紀元前4世紀以降、文学や宗教のテキストに使用されるようになり、デモティックの地位が高まった。紀元前3世紀末には、行政言語であるコイネーの重要性が高まり、デモティックの契約書は、当局に登録されたことをギリシャ語で記さない限り、その法的効力をほとんど失った。

後期デモティック (Late (Roman) Demotic)

編集

ローマ帝国のエジプト支配が始まって以来、デモティックは次第に公的な場では使われなくなった。後期デモティック(紀元前30年頃〜紀元452年、特に紀元1〜2世紀)には多くの文学的テキストが書かれていたが、2世紀末に急速に減少した。ラテン語が帝国西部の言語を駆逐したのとは対照的に、ギリシャ語がデモティックに置き換わることはなかった[1]。その後、デモティックはごく一部のオストラコン、ギリシャ語テキスト、ミイラのラベル、落書きなどに使われただけであった。後年に見つかっているデモティックの最後の使用例は、紀元452年フィラエ神殿の壁に刻まれた落書きで、452年12月12日の日付がつけられている。本文は「ペトシリスの息子ペティセ」とだけ書かれており、ペティセが誰であったかは不明である[2]

単字と翻字

編集

ヒエログリフの前身である文字体系と同様に、デモティックも単字、つまり「アルファベット」の文字セットを持ち、個々の音素を表現することができた。単字はデモティックの中でも頻繁に使用され、文章中の全文字のうち3分の1から2分の1を占めており、特に多くの外来語は単字で書かれている[3]。後期(ローマ時代)のテキストでは、単字はより頻繁に使われている[4]

次の表は、単字、翻字、元となったヒエログリフ、そこから派生したコプト文字、および使用上の注意点を示した一覧である[3][4][5]

翻字 デモティック ヒエログリフ[5] コプト文字 備考
 
A
殆ど語頭で使用されるが、まれに語末で使用される。
  語頭では使用されない。
ı͗   or   or  
i
語頭でのみ使用される。
e  
Wi
ı͗ または語中の e を表す。
 
aA
Y1 a
通常、他の文字が上下に置かれていないときに使う。
 
a
通常、横長の文字の下に置くときに使う。
  通常、横長の文字の上に置くときに使う。
y  
Wii
w   or  
wA
語中または語末で使用される。
  or  
w
語頭子音として使用される。
 
Z3
複数形または3人称複数接辞の w として使用される。
b  
Z1
H_SPACE
bA
相互に置換可能。
 
Wb
p   or  
p
1個目の字形の派生である2個目の字形に殆ど置き換わった。
f   or  
f
ϥ
m   or  
m
相互に置換可能。2個目の字形は1個目の字形の派生。
n  
n
W nw
通常、他の文字が上下に置かれていないときに使うが、前置詞 n や属格接辞 n としては使われない。
 
n
[注釈 1] 通常、他の文字が上下に置かれているときに使う。
r  
rw
r が子音として保持され、音変化によって失われないときに使用する通常形。
  or  
r
コプト語 ⲉ に対応する母音として使用され、相互に置換可能。前置詞 r のような子音が失われることにより生じることもある。語頭音 ı͗ の付加に使うこともある。
  or  
A2i
l  
Z1rw
h  
h
[注釈 1]
  or  
H
[注釈 1] 相互に置換可能。
  or  
bH
Y1
ϩ, [注釈 1]
 
x
[注釈 1], [注釈 1]
  or  
x
y
 
M12
ϧ 通常、他の文字が上下に置かれていないときに使う。
 
X
通常、他の文字が上下に置かれているときに使う。
s  
s
通常、他の文字が上下に置かれていないときに使う。
 
Z5
Y1
Z1Aa18
しばしば固有名詞やギリシャ語からの借用語に使用される。エジプト語の固有語の語頭には使用されない。
  or  
z
通常、横長の文字の下に置くときに使う。
  通常、横長の文字の上に置くときに使う。
  or    or   
ts
代名詞として使用。
š   or  
SA
ϣ, [注釈 1] 通常、他の文字が上下に置かれていないときに使う。2個目の字形は1個目の字形の派生。
 
S
[注釈 1] 通常、他の文字が上下に置かれているときに使う。
q  
q
[注釈 1]
k  
k
ϭ しばしば横線の下に書かれる。
 
Z1kA
本来は2字 kꜣ 。後代のテキストではしばしば q として使用される。
g   or  
g
[注釈 1]
t   or   or  
t
 
D37
t
ϯ[注釈 2] 動詞 ḏj (与える)以外ではあまり使われない。
d  
n
t
  or  
iti
相互に置換可能。実際に発音される語末の t を表し、女性接尾辞の無音 t とは区別される。
 
ti
 
D51
D40
本来は動詞 ṯꜣj (取る)の表記であったが、時々表音的に使用される。
 
ADA
[注釈 1] 相互に置換可能。コブラの字形は稀。
 
DA
ϫ, [注釈 1]
 
D
  1. ^ a b c d e f g h i j k l 古コプト語のテキストにのみ出現する。
  2. ^ あるいは、 ϯ の合字の可能性がある。[6]

デモティック期のエジプト語

編集

デモティックという語は、この文字を用いて書かれた、新エジプト語後期の段階を指す場合もある。デモティックによるエジプト語は、その後に現れたコプト語に非常に近いものである。当初、デモティックで書かれたエジプト語の表現は、それまで使用されていた常套句が多く含まれるなど、当時の人々の日常語の特徴を多く有していたものと思われる。しかし、デモティックの使用が次第に文学や宗教文書などの非日常的な分野に限られてくるようになると、デモティックによるエジプト語は人工的な性格を帯びるようになり、当時の日常語からの乖離が大きくなっていった。

脚注

編集
  1. ^ Haywood, John (2000). Historical atlas of the classical world, 500 BC–AD 600. Barnes & Noble Books. p. 28. ISBN 978-0-7607-1973-2. "However, Greek did not take over as completely as Latin did in the west and there remained large communities of Demotic...and Aramaic speakers" 
  2. ^ Cruz-Uribe, Eugene (2018). “The Last Demotic Inscription”. Hieratic, Demotic, and Greek Studies and Text Editions: Of Making Many Books There Is No End. Festschrift in Honour of Sven P. Vleeming. Leiden. pp. 6–8. ISBN 978-9-0043-4571-3 
  3. ^ a b Clarysse, Willy (1994) Demotic for Papyrologists: A First Acquaintance, pages 96–98.
  4. ^ a b Johnson, Janet H. (1986). Thus Wrote ꜥOnchsheshonqy: An Introductory Grammar of Demotic. Studies in Ancient Oriental Civilization, No. 45. Chicago: The Oriental Institute. pp. 2–4 
  5. ^ a b The Demotic Palaeographical Database Project (DPDP)”. 129.206.5.162. 2022年4月12日閲覧。
  6. ^ Quack (2017). “How the Coptic Script Came About”. Greek Influence on Egyptian-Coptic: Contact-Induced Change in an Ancient African Language. Widmaier Verlag. p. 75. https://www.academia.edu/42127007. "It has normally been claimed that it derives from the form of the infinitive ti in Demotic, but the actual forms do not fit well; and furthermore it is a point of some concern that this sign never turns up in any ‘Old Coptic’ text (where we always have ⲧⲓ for this sound sequence). For this reason the proposal by Kasser that it is actually a ligature of t and i seems to me quite convincing." 

関連項目

編集

外部リンク

編集