毛利房嘉
毛利 房嘉(もうり ふさよし、天明7年(1787年) - 文化4年9月19日(1807年10月20日))は、長州藩一門家老である阿川毛利家の12代当主。
毛利就貞の養子。実父は厚狭毛利就宣。兄弟に毛利房晁(兄)、毛利房謙(弟)がいる。正室は益田親愛の娘。子に毛利熙徳。通称は新十郎、伊予。
生涯
編集天明7年(1787年)、一門厚狭毛利就宣の次男として生まれる。文化元年(1804年)、養父・毛利就貞の遺跡を相続し阿川領主となる。藩主毛利斉房に仕え、その偏諱「房」の字を授けられた。
文化4年(1807年)9月19日早世。享年21。家督は、嫡男の長教(改め熙徳)が2歳で相続した。
参考文献
編集- 石川卓美著「防長歴史用語辞典」