比田井南谷
比田井 南谷(ひだい なんこく、英語: Nankoku Hidai)、明治45年(1912年)2月1日 - 平成11年(1999年)10月15日)は書家。本名は漸(すすむ)。神奈川県出身。
人物情報 | |
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生誕 |
比田井 漸(すすむ) 1912年2月1日 日本・神奈川県鎌倉市 |
死没 | 1999年10月15日 (87歳没) |
出身校 | 東京高等工芸学校印刷工芸科 |
学問 | |
研究分野 | 書道史 |
略歴
編集父・比田井天来、母・小琴の次男として生まれ、天来没後は書道研究機関「書学院」を継承し、碑帖の管理や出版部の再開に努める。書学院長・毎日書道展名誉会員・書宗院顧問・独立書入団客員などを歴任し、プリンストン大学・オックスフォード大学など、約20の大学で書道史を講演する。
略年譜
編集- 1912年(明治45年) 神奈川県鎌倉市に生まれる。
- 1922年(大正11年) - 1939年(昭和14年) 父・天来に書法を学ぶ。
- 1934年(昭和9年) 東京高等工芸学校印刷工芸科を卒業。
- 1935年(昭和10年) 父・天来から南谷の号を受ける。
- 1939年(昭和14年) 父・天来が没する。「書学院」を継承し、書道の資料・図書の管理運営の任につく。
- 1940年(昭和15年) 大日本書道院展の参事となる。
- 1945年(昭和20年) 古文を基礎とし、はじめて抽象的な書表現の実験を行い、試作に対し「心線作品」と名付ける。
- 1946年(昭和21年) 現代美術協会展に『心線作品第一・電のヴァリエーション』(前衛書)ほか2展を出品。
- 1948年(昭和23年) 山枡康子(のちの比田井小葩)と結婚。
- 1951年(昭和26年) 「個展」(養清堂画廊)。以後、東京のほかニューヨーク、サンフランシスコ、ワシントン、メルボルン等で「個展」14回。
- 1959年(昭和34年) - 1961年(昭和36年) サンフランシスコの「ルドルフ・シェーファー図案学校」に招かれ渡米。同校および自己のアトリエに教場を設け、書法および書道史を教える。
- 1972年(昭和47年) 「比田井天来生誕100年展」開催。
- 1974年 (昭和49年) - 1975年 (昭和50年) 長野県、天来生誕地に建設の「天来記念館」の設立に協力。
- 1987年(昭和62年) 『中国書道史事典』(雄山閣)を上梓。
- 1999年(平成11年) 10月15日永眠、享年87。
著書
編集参考文献
編集- 比田井南谷 『中国書道史事典』普及版(天来書院、発行者・比田井和子、2008年8月)ISBN 978-4-88715-207-6
- 飯島春敬ほか 『書道辞典』(東京堂出版、1975年4月)
- 『書に遊ぶ』4号(クリエイティブアートとまと、2001年1月)
- 『比田井南谷』(東京画廊+BTAP、2012年4月)