死の行進
囚人や捕虜の健康や生命を顧みない強制的な移動
死の行進、死の行軍[1](英語: death march、ドイツ語: Todesmärsche)とは、囚人や捕虜の健康や生命を顧みない強制的な移動のこと[2]。
概要
編集この語が最初に使用されたのは、1944年 - 1945年の冬にナチス・ドイツによって行われた、囚人(ほとんどはユダヤ人であった)の強制移動に対して後年の歴史家が名付けたもので、前線の迫った強制収容所の破棄にあたって、何千もの囚人が他の収容所やドイツ領内へ移動させられた[3]。
この語は後に、他の同様な出来事に対しても用いられた。多くの場合、囚人達に銃口を突きつけて歩かせ、水も食料も雨風をしのぐ場所もなく行進が続けられ、脱落した者は銃殺された。
アジアでは、日本軍の「バターン死の行進」「サンダカン死の行進」が知られる。ソビエト連邦によるドイツ人追放、チェコスロバキアによるズデーテン地方やブルノからのドイツ人追放、カンボジアのクメール・ルージュ支配下における、都市からの住民強制脱出にも死の行進が見られた。古くはチェロキー族インディアンの強制移動(涙の道)、オスマン帝国によるアルメニア人追放にも「死の行進」は見られる。
関連項目
編集脚注
編集- ^ “白虎隊、死の行軍をたどる 戊辰戦争150年:時事ドットコム”. 時事ドットコム. 2020年9月10日閲覧。
- ^ “Death Marches”. U.S. Holocaust Memorial Museum (2014年6月20日). 2018年4月22日閲覧。
- ^ “アウシュビッツの生存者へ解放時にメッセージを書いてくれた米軍兵士は誰?ツイッターで呼びかけて発見(佐藤仁) - Yahoo!ニュース”. Yahoo!ニュース 個人. 2020年9月10日閲覧。