武昌府(ぶしょうふ)は、中国にかつて存在した末から民国初年にかけて、現在の湖北省南東部に設置された。

湖北省の武昌府の位置(1820年)

概要

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1364年朱元璋により武昌路が武昌府と改められた。のとき、武昌府は湖広省に属し、直属の江夏武昌嘉魚蒲圻咸寧崇陽通城の7県と興国州に属する大冶通山の2県、合わせて1州9県を管轄した[1]

のとき、武昌府は湖北省に属し、江夏・武昌・嘉魚・蒲圻・咸寧・崇陽・通城・大冶・通山・興国州の1州9県を管轄した[2]

1913年中華民国により武昌府は廃止された。

脚注

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  1. ^ 明史』地理志五
  2. ^ 清史稿』地理志十四