武丁(ぶてい)は殷朝の第22代王。

武丁
第22代王
王朝
廟号 高宗
小乙
祖己祖庚祖甲
※名はとも作る。

殷墟(大邑商)の地に都を置いた[1]。また甲骨文はこの武丁の時代から見られる。

鬼方という異民族を3年かけて討ったと易経にあり、軍事的にも殷の勢力を四方に拡大した。夫人の婦好も自ら軍を率いて敵国を征伐したという。

子に祖己祖庚祖甲がおり、卜辞ではこの順に即位したとされるが、史記などでは、祖己は即位していないことになっている。

文献資料の武丁

編集

太子時代には賢人の甘盤について学問を修めた。 武丁は、盤庚の後に衰えた殷を復興させようと考えていたが、補佐する者がいなかったので、即位してから3年間は自ら政治に口を出さなかった。ある夜に説(えつ)という名の聖人を夢に見たが、群臣の中にはこのような人物はいなかった。そこで、方々に人を遣わしてこの人物を探させると、道を作る労役者の中にこの人物がいた。武丁が話してみると、まことに聖人であったために、傅(ふ)という姓を与え、傅説と呼んだ。傅説の補佐で殷はまた復興した。

武丁を主人公とした作品

編集

脚注

編集
  1. ^ 考古学資料からは、武丁以降が都を殷墟の地に置いたことが裏付けられるが、竹書紀年には第19代の盤庚から都を殷墟の地に置いたとある。