正林寺 (京都市)

京都市東山区渋谷通東大路東入3丁目にある浄土宗の寺院

正林寺(しょうりんじ)は、京都市東山区渋谷(しぶたに)通東大路東入3丁目上馬町(かみうままち)にある、浄土宗の寺院である。ここには、平重盛(小松殿)の別邸で、48の灯籠をともして念仏させたという灯籠堂のあったところで、平家没落後、九条兼実の山荘となっていた。ここに法然を招き、法談をし、法然を戒師として兼実が剃髪出家した旧跡である。法然がここに居住していたこともあるという。法然上人二十五霊跡第14番札所。

正林寺

山門
所在地 京都市東山区渋谷通東大路東入3丁目上馬町553
位置 北緯34度59分25.6秒 東経135度46分51.7秒 / 北緯34.990444度 東経135.781028度 / 34.990444; 135.781028座標: 北緯34度59分25.6秒 東経135度46分51.7秒 / 北緯34.990444度 東経135.781028度 / 34.990444; 135.781028
山号 淸凉山
(清涼山)
院号 光明眞言院
(光明真言院)
宗派 浄土宗
本尊 阿弥陀如来
創建年 建仁2年(1202年)正月
開山 法然
開基 九条兼実
中興 義山、恵空
正式名 清涼山光明真言院正林寺
淸凉山光明眞言院正林寺
別称 小松谷御坊正林寺
札所等 法然上人二十五霊跡第14番
法人番号 5130005000201 ウィキデータを編集
正林寺 (京都市)の位置(京都市内)
正林寺 (京都市)
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歴史

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ここには、もとは平重盛の別邸で、後に九条兼実の山荘となっていた。建仁2年(1202年)正月、ここで法然を戒師として兼実が出家した。元久2年(1205年)8月、法然が瘧(おこり)をわずらい、その時聖覚が修法を施したという。建永2年(1207年)3月、四国に流罪の時も当御房から出発した。応仁の乱で、ここは灰燼に帰した。義山が復興に努め、弟子の恵空が遺志をつぎ、真盛辻子にあった正林寺を移した。享保20年(1735年)九条家より河原殿の建物が移築され、大師堂・方丈などになった。

寺宝

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  • 法然像 - 讃岐の人に与えられたものが、後日ここに移されたという。
  • 兼実像 - 九条家安置の像であった。
  • 弁長像 - 「選択集」を弁長が授かった。

第十四番御詠歌

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「千年経る小松のもとをすみかにて 無量寿仏の迎えをぞ待つ」

脚注

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参考

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  • 「小松谷御房略縁起」