歌川貞歌女
江戸時代の浮世絵師
来歴
編集歌川国貞の門人。歌川の画姓を称し作画期は文政の頃とされる。文政11年(1828年)建立の豊国先生瘞筆之碑に、「国貞社中」として「貞歌女」の名がある。また文政12年1月、市村座の芝居を描いた役者絵の画中に「貞哥女筆」[1]、『偐紫田舎源氏』の第二編上(文政13年刊行)に「国貞門人貞哥女筆」[2]とある。なお『浮世絵師便覧』には三代目豊国(国貞)門人として「貞歌」(さだうた)という名が見えるが、これが同一人かどうかは不明である。
参考文献
編集- 飯島半十郎(虚心) 『浮世絵師便覧』 1893年 ※国立国会図書館デジタルコレクションに本文あり[3]。
- 井上和雄編 『浮世絵師伝』 渡辺版画店、1931年 ※国立国会図書館デジタルコレクションに本文あり[4]。
- 日本浮世絵協会編 『原色浮世絵大百科事典』(第2巻) 大修館書店、1982年 ※117頁