歌川芳豊
江戸時代末期の浮世絵師
歌川 芳豊(うたがわ よしとよ、天保元年〈1830年〉 - 慶応2年4月24日〈1866年6月7日〉)とは、江戸時代末期の浮世絵師。
来歴
編集歌川国貞及び歌川国芳の門人。本姓は福山、俗称兼吉(または兼二郎)。一竜斎と号す。上野三枚橋近くの旅籠屋某の妾腹の子と伝わる。はじめは国貞に絵を学んでいたが、国貞のもとを出奔し国芳の門に入る。国芳はちょうど国貞が歌川豊国を名乗った時だったので、わざと芳豊の名を与えたという。つまり「豊」の字を「芳」の字の下に置いたということである。作画期は安政から慶応にかけての頃で、幕末には武者絵のほか、はしか絵や凧絵を得意とし横浜絵も描く。日本橋新大坂町にて没す、享年37。墓所は東京都台東区元浅草の正覚寺、法名は豊山院遠往信士。門人に二代目歌川芳豊がいる。
作品
編集- 「諸国金山ノ図」 大判3錦絵枚続 ※万延元年(1860年)
- 「ヲロシヤ人愛婦人」 大判錦絵 国立国会図書館所蔵 ※同上
- 「フランス人遊興」 大判錦絵 国立国会図書館所蔵 ※同上
- 「アメリカ子供愛図」 大判錦絵 ※同上
- 「イギリス遊行ノ図」 大判錦絵 ※同上
- 「猛虎の正写」 大判錦絵 ※文久元年(1861年)
- 「新渡大象図」 大判錦絵 江戸東京博物館所蔵 ※文久3年
- 「新渡舶来之大象」 大判錦絵 江戸東京博物館所蔵 ※同上
- 「中天竺舶来大象之図」 大判錦絵 江戸東京博物館所蔵 ※同上
- 「欧羅巴人舶来 大象の図」 大判錦絵 江戸東京博物館所蔵 ※同上
- 「異国渡大象の図」 大判錦絵 ※同上
- 「新渡駱駝写生」 大判錦絵
- 「東海道 吉原」 大判錦絵 ※合作揃物の内、文久3年
- 「麻疹手当奇法升」 大判錦絵
参考文献
編集- 井上和雄編 『浮世絵師伝』 渡辺版画店、1931年 ※国立国会図書館デジタルコレクションに本文あり[1]。
- 日本浮世絵協会編 『原色浮世絵大百科事典』(第2巻) 大修館書店、1982年 ※103頁
- 太田記念美術館編 『歌川国芳とその一門展』 太田記念美術館、1990年 ※64頁