歌川国経
歌川 国経(うたがわ くにつね、安永6年〈1777年〉 - 文化5年6月19日〈1808年7月12日〉)とは、江戸時代中期の浮世絵師。また講釈師として伊東燕太とも称す。
来歴
編集初代歌川豊国の門人、「国常」とも。俗名は斎藤源三(または源蔵)、相模国愛甲郡上荻野村(小字田尻村、現在の神奈川県厚木市上荻野)の人。江戸に出て豊国の門人となり絵を学ぶ。ただし湯島天神境内に住んでいた講釈師の伊東燕音(1761年 - 1840年)から講釈も学んでおり、「伊東燕太」と称し江戸街頭で講釈をしたという。国経こと源三がいつごろ江戸に行き、上荻野村に帰ったのかは定かではない。絵の作は神奈川県内の寺社や子孫の斎藤家に残る。活動した年代と年齢から、初代豊国の門人としては歌川国政に次ぐ古参と見られ、享和3年(1803年)の書画会の摺物にも豊国門人のひとりとして名を連ねる。享年32。墓所は神奈川県伊勢原市日向の浄発願寺と斎藤家の二か所にある。戒名は燕山太栄上座。墓石は浄発願寺と斎藤家のいずれも、正六角柱という珍しい形をしている。