欽聖皇后
北宋の神宗の皇后
向皇后 | |
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北宋の皇后 | |
欽聖皇后向氏 | |
在位 |
治平4年2月6日[1] - 元豊8年3月7日 (1067年2月22日 - 1085年4月3日) |
別称 | 欽聖皇后 |
出生 |
慶暦6年(1046年) 懐州河内県 |
死去 |
建中靖国元年1月13日 (1101年2月12日) 開封府、隆祐宮 |
配偶者 | 神宗 |
子女 | 延禧公主(淑懐帝姫) |
生涯
編集懐州河内県の人。真宗の時代に丞相(同平章事)であった向敏中の曾孫娘である。祖父は向伝亮。父は向経。能書家で、草書に上手との評がある。
治平3年(1066年)、潁王趙頊(後の神宗)にとつぎ、安国夫人となった。神宗が即位すると、皇后に立てられた。元豊8年(1085年)に神宗が崩じ、哲宗(神宗の庶出子、母は徳妃朱氏)が即位すると、嫡母として皇太后となった。その後9年間は、姑の太皇太后高氏(宣仁太后)が垂簾聴政し、向氏は姑に孝事した。元符3年(1100年)、哲宗が崩じ、男子がなかったので哲宗の弟の中から端王趙佶(徽宗)を帝位に即かせた。徽宗の即位直後は、向氏が垂簾聴政した。しかし半年ほどで病の床につくと、政権を徽宗に返した。
子女
編集- 延禧公主(淑懐帝姫)
脚注
編集- ^ 『宋史』巻14, 神宗紀一 治平四年二月乙酉条による。
伝記資料
編集- 『続資治通鑑長編』
- 『宋史』
- 『宋会要輯稿』