檜倉郡

朝鮮民主主義人民共和国平安南道に属する郡

檜倉郡(フェチャンぐん)は、朝鮮民主主義人民共和国平安南道に属する

平安南道 檜倉郡
位置
各種表記
チョソングル: 회창군
漢字: 檜倉郡
日本語読み仮名: ひそうぐん
片仮名転写: フェチャン=グン
ローマ字転写 (MR): Hoechang kun
統計(2008年
面積: 681.43 km2
総人口: 89,959 人
人口密度: 132.02 人/km2
行政
国: 朝鮮民主主義人民共和国の旗 朝鮮民主主義人民共和国
上位自治体: 平安南道
テンプレートを表示

地理

編集

隣接行政区

編集

行政区域

編集

1邑・4労働者区・16里を管轄する。

  • 檜倉邑(フェチャンウプ)
  • 百霊労働者区(ペンニョンノドンジャグ)
  • 石抗労働者区(ソカンノドンジャグ)
  • 新作労働者区(シンジャンノドンジャグ)
  • 火田労働者区(ファジョンノドンジャグ)
  • 佳雲里(カウンニ)
  • 九龍里(クリョンニ)
  • 内洞里(ネドンニ)
  • 大谷里(テゴンニ)
  • 大徳里(テドンニ)
  • 大峯里(テボンニ)
  • 徳連里(トンニョンニ)
  • 文語里(ムノリ)
  • 松洞里(ソンドンニ)
  • 崇仁里(スンインニ)
  • 新成里(シンソンニ)
  • 陽春里(ヤンチュンニ)
  • 静山里(ジョンサンニ)
  • 芝洞里(チドンニ)
  • 択仁里(テギンニ)
  • 回雲里(フェウンニ)

歴史

編集

檜倉郡は、第二次世界大戦後、北朝鮮によって新設された郡である。

1945年8月時点では平安南道成川郡黄海道谷山郡の一部にあたる。

1952年12月、平安南道成川郡の崇仁面・大谷面・陵中面全域と九龍面の一部、黄海道谷山郡鳳鳴面の一部を合わせ、檜倉郡(1邑18里)として新設された。郡創設当時の檜倉邑は陵中面徳連里に置かれた。

1956年には1里を江東郡に移管。また、このとき檜倉邑を新興労働者区に移した。

2003年時点で、1邑4労働者区16里から構成されている。

年表

編集

この節の出典[1]

  • 1952年12月 - 郡面里統廃合により、平安南道成川郡崇仁面・大谷面・陵中面および九龍面の一部、黄海道谷山郡鳳鳴面の一部地域をもって、平安南道檜倉郡を設置。檜倉郡に以下の邑・労働者区・里が成立。(1邑1労働者区17里)
    • 檜倉邑・新興労働者区・佳雲里・九龍里・回雲里・召南里・松洞里・三陽里・隆中里・大徳里・順昌里・花尋里・大谷里・文語里・芝洞里・崇仁里・帰仁里・新成里・静山里
  • 1954年 - 静山里の一部が分立し、択仁里が発足。(1邑1労働者区18里)
  • 1956年 (1邑17里)
    • 順昌里が江東郡に編入。
    • 檜倉邑が徳連里に降格。
    • 新興労働者区・帰仁里が合併し、檜倉邑が発足。
  • 1981年 (1邑17里)
    • 隆中里が陽春里に改称。
    • 三陽里が内洞里に改称。
    • 召南里が大峯里に改称。
  • 1990年 (1邑4労働者区17里)
    • 花尋里・文語里の各一部が合併し、百霊労働者区が発足。
    • 択仁里の一部が分立し、石抗労働者区が発足。
    • 檜倉邑・崇仁里の各一部が合併し、新作労働者区が発足。
    • 檜倉邑・新成里の各一部が合併し、火田労働者区が発足。
  • 1993年 - 花尋里が大谷里に編入。(1邑4労働者区16里)

脚注

編集

外部リンク

編集