橘 清樹(たちばな の きよき)は、平安時代前期の貴族歌人弾正大弼橘長谷麻呂の孫。遠江守・橘数雄の次男[1]官位従五位下阿波守

 
橘清樹
時代 平安時代前期
生誕 不明
死没 昌泰2年(899年)3月
官位 従五位下阿波守
主君 陽成天皇光孝天皇宇多天皇
氏族 橘氏
父母 父:橘数雄、母:藤原濱雄
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経歴

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陽成朝元慶元年(877年大宰少監を経て、光孝朝仁和2年(886年従五位下弾正少弼に叙任される。宇多朝に入ると、仁和4年(888年肥前守に転じ、寛平8年(896年阿波守と地方官を歴任した。醍醐朝昌泰2年(899年)3月卒去。

勅撰歌人として、和歌作品が『古今和歌集』に1首採録されている[2]

官歴

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注記のないものは『古今和歌集目録』による。

系譜

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脚注

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  1. ^ a b 『古今和歌集目録』
  2. ^ 『古今和歌集』655
  3. ^ 『日本三代実録』