橘 敏通(たちばな の としみち)は、平安時代中期の貴族。中納言・橘公頼の三男。官位は従五位下・式部大輔。筑後国蒲池の領主。
天慶2年(939年)文章得業生。承平天慶の乱に際して、天慶4年(941年)大宰府に攻め寄せてきた藤原純友の弟・純乗を、父・公頼と柳川郊外の蒲池城で迎え撃ち、純乗を撃退する。
天慶5年(942年)内記。
『尊卑分脈』による。