橋本順忠
生涯
編集梅宮大社の宮司であった橋本順行の三男として、京都市に生まれる[3]。弟に橋本以行[4]。
大正11年(1922年)、京都市立美術工芸学校を卒業[3]。次いで大正14年(1925年)には京都市立絵画専門学校を、昭和5年(1930年)には研究科を修了した[3]。同年、第11回帝国美術展覧会に『嵐峡の夕』が入選した[3]。
昭和28年(1953年)、梅宮大社が宗教法人法による宗教法人として登録されたと同時に、同社宮司に就任した[3]。没後、弟の以行が宮司職を継承した[4][5]。
作品
編集作品名 | 技法 | 形状・員数 | 寸法(縦x横cm) | 所有者 | 年代 | 文化財指定 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
八駿之図(趙仲穆) | 膠彩 | 巻子 | 1927年(昭和2年) | [6] | |||
不動明王像(鳥羽僧正) | 墨画・部分膠彩 | 軸・1幅 | 1930年(昭和5年) | 材質は和紙、墨・顔料。[7] |
脚注
編集注釈
編集出典
編集出典サイト
編集- “平成20年度陳列室展示記録(前期展)”. 京都市立芸術大学芸術資料館. 2021年10月12日閲覧。
- “作者解説「橋本順忠」”. 京都市立芸術大学芸術資料館. 2021年10月12日閲覧。
- 保阪正康 (2017年10月). “深海で今夏同時発見「インディアナポリス」と「伊58」 2人の艦長の苦悩”. デイリー新潮. 新潮社. p. 2. 2021年10月12日閲覧。
参考文献
編集- 高梨孝藤「高藤酒造」『日本釀造協會雜誌』第77巻第11号、日本醸造協会、1982年、813-813頁、doi:10.6013/jbrewsocjapan1915.77.813、ISSN 0369-416X、NAID 130004110821。
- 京都市立芸術大学芸術資料館「事業報告(平成27年度)」『京都市立芸術大学芸術資料館年報』第26号、京都市立芸術大学芸術資料館、51–70頁、2017年3月31日。