橋本定五郎
橋本 定五郎(はしもと さだごろう、1880年〈明治13年〉3月7日[1] - 1947年〈昭和22年〉12月13日[2])は、日本の医師[3](外科医[4])、政治家・第6代埼玉県川越市長[5]、実業家。川越同仁社長[4][6]。
人物
編集青森県八戸市十三日町生まれ[4]。長助の五男[4]。東京帝国大学医科大学卒業[注 1]。医師開業[1]。1923年、川越市医師会長就任[1]。1926年、川越産婆看護婦学校長就任[1]。川越産院長就任[1]。
1930年、埼玉県医学会頭就任[1]。1933年、川越脳病院管理者就任[1]。1935年、川越市長就任[1]。1936年、武州瓦斯監査役就任[1]。
家族・親族
編集- 橋本家
脚注
編集注釈
編集- ^ 卒業年は『全国市長銘鑑 自治制実施五十周年記念』では「明治三十九年」、『大衆人事録 第12版 北海道・奥羽・関東・中部・外地・満州・支那・海外篇』では「明治四十年」である。
出典
編集- ^ a b c d e f g h i j 『全国市長銘鑑 自治制実施五十周年記念』22頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年9月16日閲覧。
- ^ 埼玉県 1998, 634頁.
- ^ a b 『日本紳士録 第36版』埼玉ハ、ヒの部14頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年9月16日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 『大衆人事録 第12版 北海道・奥羽・関東・中部・外地・満州・支那・海外篇』埼玉22頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年9月16日閲覧。
- ^ 歴代市長川越市公式サイト。2018年9月16日閲覧。
- ^ a b c 『大衆人事録 関東・奥羽・北海道篇』埼玉31頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年7月15日閲覧。
参考文献
編集- 交詢社編『日本紳士録 第36版』交詢社、1932年。
- 帝国自治協会『全国市長銘鑑 自治制実施五十周年記念』帝国自治協会、1938年。
- 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第12版 北海道・奥羽・関東・中部・外地・満州・支那・海外篇』帝国秘密探偵社ほか、1938年。
- 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 関東・奥羽・北海道篇』帝国秘密探偵社ほか、1940年。
- 『埼玉人物事典』埼玉県、1998年。